★引越しました★
★ブログを引っ越しました!!★
まるやまうぇぶとこのpacolog!を一緒にして、新しいミニサイトをつくりました。
上のようにリンクがあります。「daily」「@tokyo」あたりが、このpacolog!でやってきた内容になります。
新しいサイトにぜひいらしてください。
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このところ、ごぶさたしてました。すいません。
ウェブサイトをいろいろ持っているのですが、そのひとつ、知恵市場を、先週全面リニュアルして、カットオーバしました。それを機に、ここpacolog!も知恵市場に引越します。これからは、こちらでお楽しみください。
■知恵市場のpacoの記事→pacolog!の後継ページ
http://www.chieichiba.net/blog/writers/paco/
■知恵市場のトップページ
http://chieichiba.net/
他に、僕がつくっているサイトとしては、
■有限会社水族館文庫
http://suizockanbunko.com/
■まるやまうぇぶ
http://www.5qol.net/maruyama/
などもやってますので、ぜひお出でください! このページは、今後更新はしないと思いますが、書庫としては当分のこしておきますので、URLの参照やトラックバックはOKです。
では引き続き、pacolog!@知恵市場でお会いしましょう。
新年のごあいさつを申し上げます。
2005年に起きたことで印象に残っていることは、JR西日本の福知山線脱線事故、耐震強度偽装事件、それに小泉首相の総選挙圧勝、というところでしょうか。
国際的な事件は比較的少なかったように感じられましたが、その一方で、米国によるイラクの占領統治は欺瞞に満ちて失敗しつつあるし、イスラエルの方向転換も不気味です。欧州ではフランスで移民が「氾濫」をおこし、これは日本ではあまりニュースにはなりませんが、ドイツ他にも通奏低音のように広がっているようです。日本は、小泉首相の意図的な政策によって東アジアで孤立しつつあり、今のところ大きな問題にはなっていないものの、新年はどのように動いていくか、これも不気味です。
Xさんが提示したイシューのひとつに、「自殺者の増加は政府の責任なのか?」という議論があります。
http://pacolog.cocolog-nifty.com/pacolog/2005/10/15_bb4e.html#comments
これは戦争の議論とは切り離して、政府の責任、というより役割とは何かというイシューとして考えたいと思います。つまり、主に現在の問題として考えたいということです。
で、自殺者の増加は政府の責任なのか、という点ですが、これについて、Xさんは、経済面での理由から、政府の責任ではない、という意見を出しています。
戦争に関する意見をたくさんいただき、ありがとうございます。
これまでのやりとりの中で気になるものをもうひとつ取り出したいと思います。
Xさんは、これまでのコメントの中で
http://pacolog.cocolog-nifty.com/pacolog/2005/10/15_bb4e.html
> 我々日本人はかつてプレイにおいて外国によって追い込まれ、敗れた。
> そのときの体制や戦略についての反省は必要だ。しかし現在の繁栄の
> 礎も築かれた。
http://pacolog.cocolog-nifty.com/pacolog/2005/10/15_1395.html
> 世界はこの戦争をきっかけに人種の平等を建前とし、有色人種の国家が
> 対等にものをいえる情勢になってきたのではないでしょうか。そしてそ
> の恩恵を受けた日本は貿易で栄えることができた。シーパワー国家とし
> て理想に近い姿を達成するために必要な世界情勢を、結果としてあの戦
> 争は作り出したのです。
といっています。
今年も靖国参拝が行われました。改めて、この問題を整理しておきます。
総理の靖国参拝にはふたつの面があると思います。ひとつは、アジア諸国との外交問題。もうひとつが日本国民自身にとってのあの戦争に対する責任問題です。これをきっちり分けて考えることが重要ですが、常に議論が混線しているのではないでしょうか。
さて、ここまでのところで、15年戦争についてのひとつの問題点が見えてきたので、戦略的な話はそろそろ収束に向かいたいと思っています。
その上で、新たに考えてみたいのは、あの戦争を評価するときの、感覚的な問題です。
Xさんの年齢がわからないのですが、最近の傾向としては、10~20代の若い人たちが、15年戦争を肯定的に考えがち、というようすが見えます。おそらく、小林よしのりの戦争論シリーズや、「新しい歴史教科書をつくる会」の発言などが影響しているのではないかと思いますが、この点は議論しません。
さんとの間で、あれこれやり取りしてきた15年戦争についての議論が、少しずつ、結晶化してきました。
15年戦争の間、日本は国の運営上、コントロールが効いていなかった部分があり、それが戦争の決断や、戦争終結の判断を鈍らせてしまった。コントロールが効かないのに戦争という大きな決断をしたことを「やむを得ない」と考えるか、「責任感希薄」と考えるかは、Xさんと僕との大きな判断の違いになっています。
コントロールが効かなかった理由は、憲法やその解釈上生じたもので、国のしくみの設計ミスとも言える。けれど、国のしくみは人間がつくるものであり、しくみの欠陥を放置したという問題はある。しかしそれを戦争指導者の責任にできるかは、議論がまだ分かれています。
このあたりは、合意できるのではないでしょうか。
靖国参拝問題から始まって、昭和の15年戦争(1930年代の満州事変から日中戦争、太平洋戦争敗戦までの戦争)の評価についての議論が続いています。
この戦争を肯定する立場の人(たとえばXさん)は、日本が明治維新、特に日清戦争、日露戦争以来築いてきた国力を、列強の侵略から守るための自衛戦争だったという説明をします。しかし、実際には、この戦争で日本は、国力をスッカラカンにしてしまいました。空襲で工業地帯は完全に破壊され、リンなどの肥料の原料も輸入できなくなったことで、田畑の生産力もすっかり落ちてしまいました。石油/石炭/資源を運ぶための船舶はほぼすべて米軍によって沈められてしまい、国を守る以前に、産業を動かすための資源さえ、運ぶことができなくなりました。
(3)日本は対中戦の最中に、対米戦までも決意した。その判断は適切だったのか。
1930年代を通じて、日米はぎくしゃくした点はあったにしても、日本は米国から石油と鉄鋼の大半を輸入し、それに頼って軍備も拡張している状況でした。
日本海軍は確かに当時の軍としては大きなものだったにしても、ワシントン条約で規定された海軍備は英国:米国:日本=5:5:3ということからもわかるとおり、仮に米国と戦争になれば原理的には5:3の比率で戦うことになる状況でした。「日本海軍は米国と戦うようにはつくられていません」と山本五十六も開戦を拒んでいます。
そもそも日本には、中国と米国、ふたつの戦争を同時に戦う国力があったのか。そして戦う国力があるという判断は妥当だったのか。開戦にあたって、戦争終結のシナリオはあったのか。
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