« 15年戦争、親世代からの遺言(新イシュー) | Main | 15年戦争とその敗戦は、今日の繁栄の礎を築いえるのか?(新イシュー) »

小泉総理、今年も靖国参拝

今年も靖国参拝が行われました。改めて、この問題を整理しておきます。

総理の靖国参拝にはふたつの面があると思います。ひとつは、アジア諸国との外交問題。もうひとつが日本国民自身にとってのあの戦争に対する責任問題です。これをきっちり分けて考えることが重要ですが、常に議論が混線しているのではないでしょうか。

外交問題としてみると、日本が大国化する中国と一定の距離を置き、米国に頼る姿勢を強めるというメッセージになり、これは、日本がこれから誰と仲良くするのかという外交戦略を議論することになると思います。中国や韓国の政府は、戦争責任を名目にして批判しているものの、無視することも可能です。あえて大きく取り上げることで、外交上の駆け引きをしていると考えるべきで(A級戦犯問題はあくまで口実でしょう)、小泉首相もそれを承知でやっているのだと思います。つまり、ここは宗教問題でも、戦争責任問題でもないと考えるべきでしょう。

次に、戦争責任の問題ですが、戦後60年を迎えて、特に若い世代に、戦争を肯定する意見が強くなっていると感じます。あの戦争がなぜ起きたのか、防ぐべきではなかったのか、防げたのか否か。そしてあの戦争の責任の所在を、「日本人」として明確にしなければならない。それは外交とは別の、歴史評価の問題だと思います。総理が靖国に参拝することを是とするのか非とするのか。日本人としての共通理解が、もう少し明確につくられるよう、努力をするべきです。

靖国という宗教と政治装置の役割については、後者を考えるためのひとつのパーツに過ぎず、この部分に議論が集中すると、問題の本質が見誤ると考えています。

|

« 15年戦争、親世代からの遺言(新イシュー) | Main | 15年戦争とその敗戦は、今日の繁栄の礎を築いえるのか?(新イシュー) »

「global eye」カテゴリの記事

「logical thinking」カテゴリの記事

Comments

今回の首相参拝はあまり評価できません。
まず、以前に約束した8月15日に行くべきです。
それに、平服の上、何故本殿参拝でなく拝殿前参拝なのか。
行かぬよりは行ったほうがまだ良い、とは思いますが、
今日の参拝は、反対派の圧力に屈した「腰抜け参拝」です。

Posted by: dai | October 17, 2005 at 22:49

私も全くの同意見です!!

つい靖国問題になると「先祖への感謝は日本人として当然」「中国・韓国の感情を刺激する」などの感情的意見が噴出し、見ていて嫌になりますが、冷静に考えれば外交問題と戦争責任問題の二点に終始する話です。

私の思う戦争責任問題は、靖国神社という明治以降の歴史をもつ神社が、あの敗戦のとき、日本社会にどのような影響を与えたものであるか、ということです。この問題に中国・韓国政府の批判キャンペーンを混同させてはいけません。
考えるに、それは戦争を鼓舞する役割だけでなく(それならあの時代を考えれば仕方ない部分だったようにも思います)それまでの日本が持っていた冷静な戦略性をわけのわからぬ精神論に置き換え、日本人をトラスト状態にしむけた、その象徴の一つとしての役割があると考えています。
したがって、この面からは参拝すべきでないと考えます。

では外交問題。靖国参拝は中韓に大きい外交カードを与える行為です。将棋で言うならば、相手を「不誠実な態度」と非難することで飛車角を自陣に追加できるようなものです。それが、外交です。
この外交問題は、戦争責任問題と違い、常に同じ議論ができるものではありません。時間軸が全く違う以上は前回の参拝とは違う議論になりえません(何故かなってますが)
というのは、小泉首相の任期はあと一年なのです。ここで参拝を中止することは、せっかく今まで相手に外交カードを持たせてまで保ってきた日本の主張を崩したこととなり、相手の外交カードの正当性を追認することになります。
来年は小泉首相が交代します。次期首相が参拝を表明しないという仮定の限りでは、外交問題からは今回の参拝は長いスパンにおいては有効だったともいえます。

長々と語りましたが私の考えの結論とすれば、「日本人として靖国参拝には反対する。
しかし、いままで毎年の参拝があった、という上で考えるとするならば、今回の参拝を否定しようとは思わない。」となります。

本当に長々とスミマセンデシタ

Posted by: pihsnretni | October 18, 2005 at 14:09

8/15参拝には、小泉首相の公約とはいえ賛成できません。

靖国神社は明治維新で維新政府樹立のために死んだものを祀ったのが起源であり、日清・日露戦争の犠牲者も祀られています。1945/8/15が一つの大きな区切りであったことは間違いありませんが、その後の自衛隊の殉職者も祀られています。つまり日米戦争なり十五年戦争なりの犠牲者だけの神社ではないのです。
にも拘らず、あえて8/15に参拝をするとなると、隣国に対し誤ったメッセージを発信する結果になりかねません。中国民主化運動のリーダーの一人、相林氏は、中国では「靖国はA級戦犯をまつるために戦後つくられた施設だ」と教えられていると語っています。8/15参拝にこだわることはこのような誤解(おそらく意図的なものだとは思うが)を助長することになります。

もちろん、そのような教えや中国の歴史観を根拠に靖国参拝批判を行う中国の要求は、国益上断固受け入れるべきではないと思いますが。

Posted by: X | October 23, 2005 at 17:06

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



« 15年戦争、親世代からの遺言(新イシュー) | Main | 15年戦争とその敗戦は、今日の繁栄の礎を築いえるのか?(新イシュー) »