自殺者の増加は政府の責任なのか?
Xさんが提示したイシューのひとつに、「自殺者の増加は政府の責任なのか?」という議論があります。
http://pacolog.cocolog-nifty.com/pacolog/2005/10/15_bb4e.html#comments
これは戦争の議論とは切り離して、政府の責任、というより役割とは何かというイシューとして考えたいと思います。つまり、主に現在の問題として考えたいということです。
で、自殺者の増加は政府の責任なのか、という点ですが、これについて、Xさんは、経済面での理由から、政府の責任ではない、という意見を出しています。
僕自身は、自殺者の増加は、政府に相当以上の責任がある(もちろん100%ではないせよ、積極的に対応する責任がある)という意見なんですが、その理由を考えるときの、Xさんとの考え方の違いを整理しておきます。
Xさんは、日本政府の経済政策はそれほど間違っていなかったし、それを国民も支持したのだから、自殺者が増えてもやむを得ない、という説明をしているように見えます。
ちなみに、現在の自殺者の多くが経済的な理由、失業や倒産、あるいはそれが原因となって、「未来に対して希望を失った結果」だと言われているので、ここではその分析を受け入れておきます。
政府の経済政策が適切で、その結果として弱い企業群が倒産することもやむを得ないとしましょう。そしてそういうことも含めて、国民も支持したとします。その結果、弱い産業が淘汰されて、産業の力が復活したというのが現在の状況と考えられる。ここまではおおむねよいとして、問題はそのあとです。経済政策が支持されたとしても、その結果として不幸になる人が増えたり、希望を失う人が増えることまで、国民が支持しているわけではありません。実際、1990年代のリセッションの時期に、「弱い産業を切り捨てる構造改革が必要」と言っていた識者も、同時に「セーフティネットが必要」と力説していました。構造改革とセーフティネットはセットで政府の責任だという意見だったし、僕もそれを支持していました。
しかし実際に起こったことは、構造改革は一定の成果を上げても、セーフティネットは不十分だったということを示しています。
もちろん、ゼロだったわけではありません。失業者の職業斡旋のために職安をハローワークに切り替えて積極的に活用したり、社会人の再教育のための教育資金を用意したりして、一定の成果は上げられたかもしれません。でも、現実に起きている年間3万人を超える自殺者は、明らかに異常事態です。
政府は、国民が希望を持って生活ができるような施策を打つことが期待されています。現状は、ある種の経営者にはかなり希望が持てるようになってきたものの、一方で希望を失い、取り戻せずに追い込まれる人が3万人もでるとしたら、一方の成功が、他方の失敗を生んでいることを意味します。この点を政府の責任と考えることには、十分合理性があるというのが僕の考えです。
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Comments
>Xさんは、日本政府の経済政策はそれほど間違っていなかったし、それを国民も支持したのだから、
>自殺者が増えてもやむを得ない、という説明をしているように見えます。
いや、書き方がまずかったかもしれませんが、そこまでは言うつもりはありません。
しかし倒産やリストラを経験しても自殺しない人の方が普通でしょう。それどころか不治の病を宣告されても自殺しない人の方が普通ではないですか。そういう人が政府の政策に怒りをぶつけるのであれば、その中身は吟味すべきです。
しかし自殺までするようなケースを取り出して、自殺に追い込んだ責任まで政府に持っていくのはどうなのか?ということです。自己破産という制度だってあるわけで、本能に反し周囲の人間に迷惑と悲しみを残して死ぬべき理由などそんなにあるのか?自殺で保険金が出るというのならば話は別ですが、葬式代で金がかかる、というのが実情でしょう。
「未来に対して希望を失った結果」だと言う分析を受け入れたところで、「未来に対して希望を持てない」という判断が正しいのかどうかはきちんとすべきなのです。
>実際に起こったことは、構造改革は一定の成果を上げても、セーフティネットは不十分だったということを示しています。
この言い方をやりだすと、いかなる非合理な選択をしようが、国民がすべて正しいということになりませんか?どのような状況であっても、政府に対して不満がある、支持しないという結果が出てくると「政策が悪かった」ということは否定しようがなくなります。
自殺者が増えて減らない、というのは確かです。しかし「それが結果だから政府が悪い」というのは短絡的ではないでしょうか?
Posted by: X | October 23, 2005 16:47
最後の段落一行目
「非合理な選択」 → 「非合理な評価」
です。すみません。
Posted by: X | October 23, 2005 17:10
ましゅです。
今朝のニュースで自殺者の増加が取り上げられていた直後に、この記事を読んだので思ったことを書いておきます。
まず、Xさんとpacoさんの話が噛みあっていないように感じられます。
●自殺者は増加の本質は不況なの?
Xさんは
「「周囲の大人たち」ですが、今も、不況や自殺者の増加は政府の責任だと考えている人が多いですね。
でもそれが正当な意見なのでしょうか?実際には、バブル以前から時系列で見ると、バブル後もインフレ率が低いまま所得が増加していると言う点ではそんなにおかしな状況ではないそうです。バブル経済を標準と考えるから大不況だと思ってしまうのではないのでしょうか?世界で「不況」というと、米国なら「車を売って近所で共有した」、韓国なら「小学生の2/3が一日二色しか食べていなかった」というレベルのものらしいですから。」
と書いています。
pacoさんは
「ちなみに、現在の自殺者の多くが経済的な理由、失業や倒産、あるいはそれが原因となって、「未来に対して希望を失った結果」だと言われているので、ここではその分析を受け入れておきます。」
と書いています。
まず、この2つの前提が違っているように感じられます。
Xさん[不況→経済的質の低下→自殺]
pacoさん[不況→失望感→自殺]
貧乏が辛くて自殺するのと、将来に希望が持てなくて自殺するのでは、話が噛みあわなくなりますよね。
Xさんは、さらに
「「未来に対して希望を失った結果」だと言う分析を受け入れたところで、「未来に対して希望を持てない」という判断が正しいのかどうかはきちんとすべきなのです。」
と書いています。
しかし、経済的な側面から見れば、日本は世界的に見て非常に豊かな国であることは、Xさんにも異論のないところだと思います。また、現在よりも物質的に貧しい時代を経験したであろう中高年に自殺者が多い(日本の年齢別自殺率は50歳代後半がピーク)のは、経済的な理由が問題の本質ではないことを示唆していると、僕は考えます。
つまり、経済的な理由は原因にあるにせよ「未来に対して希望を持てない」ことが自殺増加の本質だというのはよく理解でき、納得感が高いと思うのです。
Xさんは、まず「未来に対して希望を持てない」という判断について正しくない、または他に理由がある、というならばそれを提示していただけないでしょうか。
●自殺増加に政府は対応するべきなの?
pacoさんの
「しかし実際に起こったことは、構造改革は一定の成果を上げても、セーフティネットは不十分だったということを示しています。」
に対して、Xさんは
「この言い方をやりだすと、いかなる非合理な選択をしようが、国民がすべて正しいということになりませんか?どのような状況であっても、政府に対して不満がある、支持しないという結果が出てくると「政策が悪かった」ということは否定しようがなくなります。
自殺者が増えて減らない、というのは確かです。しかし「それが結果だから政府が悪い」というのは短絡的ではないでしょうか?」
と書いています。
Xさんは、自殺増加の原因を政府に帰結させるのは早計だ、と言いたいのですよね。
では、この問題の原因はどこにあるのでしょうか。
問題の発生源に経済的な理由があることは間違いありません(そこから「失望感」を感じたり「経済的な質の低下を憂え」たりして自殺するわけですから)。そして、この経済的な状況を作り出したのは、日本政府の経済政策です。
ですから、ここに自殺者を増加させる不備があったというロジックは成り立ちますよね。
また、自殺者の増加は原因がどこにあるにせよ、被害を受けるのは(最終的に)日本という国なので、政府が対策を考えるという構造に問題はありませんし、経済政策の一部としてセーフティネットなどの対策を立てる(立てておくべきだった)のは効果が高いと考えても間違いなさそうです。
さらに、レトリックの問題があります。pacoさんの政策が「不十分」ということと、Xさんの政策が「悪い」ということにも隔たりがあります。また、主語を「政策」とするか、「政府」とするかでもずいぶん印象は変わります。
たとえば、Xさんの
「自殺者が増えて減らない、というのは確かです。しかし「それが結果だから政府が悪い」というのは短絡的ではないでしょうか?」
という文章を(pacoさんのオリジナルに従って)
「自殺者が増えて減らない、というのは確かです。しかし「それが結果だから政策が不十分」というのは短絡的ではないでしょうか?」
とすると、あんまり短絡的じゃなくて、なんだか対策をちゃんとしてこなかったのがいけないんじゃないの?とい気にさせられませんか。
Posted by: ましゅ | October 27, 2005 11:50