15年戦争、親世代からの遺言(新イシュー)
さて、ここまでのところで、15年戦争についてのひとつの問題点が見えてきたので、戦略的な話はそろそろ収束に向かいたいと思っています。
その上で、新たに考えてみたいのは、あの戦争を評価するときの、感覚的な問題です。
Xさんの年齢がわからないのですが、最近の傾向としては、10~20代の若い人たちが、15年戦争を肯定的に考えがち、というようすが見えます。おそらく、小林よしのりの戦争論シリーズや、「新しい歴史教科書をつくる会」の発言などが影響しているのではないかと思いますが、この点は議論しません。
僕は1960年生まれで、戦争敗戦15年目に生を受けました。少年時代を過ごした1960年代は、高度成長期で、自分の感覚は「戦争なんて遠い」という意識だったのですが、実際には世の中はまだまだ戦争の傷が癒えきっていない状況だったことにあとから気がつきます。
僕の小学校の担任は、満州引き揚げ者で、満州で日本軍や軍属が中国人にどれほどひどいことをしたか、いろいろ話してくれました。周囲の大人たちは、あの戦争は軍部にだまされたのだ、事実を知っていたら絶対戦争には賛成しなかったという考えが主流で、戦争を賛美する人はほとんど一人もいませんでした。戦犯も含めて、戦争指導者をほめるたり、がんばったんだけどダメだったというような人も一人もいませんでした。
そのことを、占領下の米軍の洗脳と考えることもできるし、庶民は単に苦しんだだけで、自分たちも戦争に浮かれたいたことを忘れている、ということもできるでしょう。でも、多くの大人たちは、日本と米国がどれほど国力が違っていたかさえ、知らなかったと嘆いていました。戦線が中国に広がったことさえ、「あんなに広い国を日本がどうにかできるわけはない」と考えていたのに、国は戦争をやめなかった、と感じているようでした。
日本は、戦争の戦略的指導に失敗しました。コントロールを効かせることができなかった。
その一方で、一般市民に対しては、徹底的にコントロールした。治安維持法、憲兵隊、赤刈り。
僕が、15年戦争の問題点として考えているもうひとつのイシューは、当時の指導者の、このギャップです。自分たちはコントロールを効かせられなかったのに(自ら律することができなかった)、国民には厳しい制約を課した。つまり、15年戦争の指導者は、自らに甘く、国民には厳しかったという点で、国民の指導者としてふさわしくなかったと考えています。
この点について、どう考えるか、いろいろ意見を聞かせてください。
たぶん、このイシューについては、議論をして結論を出すというような種類のものではなく、こういうことについてどう考えるか、いろいろな意見を出し合うという感じにならざるを得ないと思っています。
Xさん、いかがですか?と振ってみる。
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Comments
戦争指導の問題として
日本には「地獄の黙示録」のようなことが
可能だったのだろうか と思います。
中国での「戦線不拡大」は「日本」の強い意志だったと思います。 しかし、拡大を許してしまった。
たとえば天皇が「近衛軍」を派遣して 日本の意思に反する「関東軍(反乱軍として)」討伐できたか?
(小生 そうすべきだったと思います)。
Posted by: わりこみ!! | October 05, 2005 09:17
わりこみ!さん、ありがとうございます。
確かに近衛兵派遣という選択肢もあったと思います。なんとしても、政府の方針、軍中央の方針をしっかり徹底させるべきだった。
でも、僕はその背景にあるところに注目していて、5.15、2.26事件、そしてノモンハンにしてもそうなのですが、軍中央からの指示に従わなかった人の処分が甘すぎる。処分自体が厳しくても、心情的理解を示してしまったりしている。ここが、いわゆる「現地軍の暴走」を許す温床になったと考えています。軍という組織では、命令は絶対で、命令に背くと軍法会議にかけられて重罪が普通です。にもかかわらず、5.15、2.26事件など、軍の暴走に関わった人に対しては、軍上層部が一体となって「命令違反、規律違反は絶対に許さない」という上下関係を徹底させなかった。これが、下校場の風土を冗長させ、参謀が大臣を選ぶというような、とんでもない逆転が起こっていくし、現地軍は「国のために独断で動いた、しかも買った」といえば、なんでもOKという状況になっていったのではないかと思います。
軍の責任者が、軍の下部組織をコントロールできないような国は、周囲から信頼されませんよね。危なっかしくてしょうがない。しかも、そこについて反省の弁がない。これが、アジア諸国から信頼されない、大きな理由だと僕は考えています。
Posted by: paco | October 06, 2005 01:16
pacoさん、さっそくの回答あるが問うございます。
所詮 傍観者の「わりこみ」のつもりで書いたのにあれですが・・。
軍も国内では「内務省(警察)」との関係で かなり窮屈であったと思います。
大阪で軍人の交通信号無視があり
それを見ていた警察官と小競り合いがあって
決着として「警察が謝る」事件がありましたが
それ以前は
軍といえども「パワーバランス」の中にいたと思います。
その軍が「外地」にでると、
「真っ白なキャンバス」に絵を描くように
振舞えてしまう。
それと これは 「軍」固有の問題ではないように思うのですが
「作戦」に失敗があったと「自他共に認められる人物」が 別の戦線に移り また同じような失敗を犯してしまう 硬直化した官僚機構なのでしょうか 完全に外せないのは・・。
今の「官僚機構」でも同種のことは起きていますし 医療現場ではこういうことが「ザラ」のようです。
こういう部分にはどうやって「縛りをかける」ことができるのか 悩ましいです メディアに頼る・・難しいところです。
Posted by: わりこみ!! | October 07, 2005 06:41
pacoさん、さっそくの回答ありがとうございます。
所詮 傍観者の「わりこみ」のつもりで書いたのにあれですが・・。
軍も国内では「内務省(警察)」との関係で かなり窮屈であったと思います。
大阪で軍人の交通信号無視があり
それを見ていた警察官と小競り合いがあって
決着として「警察が謝る」事件がありましたが
それ以前は
軍といえども「パワーバランス」の中にいたと思います。
その軍が「外地」にでると、
「真っ白なキャンバス」に絵を描くように
振舞えてしまう。
それと これは 「軍」固有の問題ではないように思うのですが
「作戦」に失敗があったと
「自他共に認められる人物」が別の戦線に移り
また同じような失敗を犯してしまう
硬直化した官僚機構なのでしょうか
完全に外せないのは・・。
今の「官僚機構」でも同種のことは
起きていますし
医療現場ではこういうことが
「ザラ」のようです。
こういう部分にはどうやって
「縛りをかける」ことができるのか
悩ましいです
メディアに頼る・・難しいところです。
Posted by: わりこみ!! | October 07, 2005 06:42
>Xさんの年齢がわからないのですが~
私は1970年生まれです。小林よしのりはほとんど読んでいませんが、断片的に内容を見たり聞いたりする限りでは否定的です。「新しい歴史教科書」は日本史のはじめの方だけ読んで中断しています。学生時代は岩波の「世界」から文芸春秋の「諸君!」までいろいろと目を通してはいました。
「あの戦争」については、トインビーやアジア諸国の指導者たちの発言、あるいは小林山岡壮八の「少年少女太平洋戦争シリーズ」や、ジョン・トーランドの「大日本帝国の興亡」などに見られるように、肯定論はここ10年程度のものだけではないと思っています。
「あの戦争」を「15年戦争」と区切ること自体がまず日本に対する否定的な見方から発しているものであり、「百年戦争」論から「4年戦争」論までいろいろと見方は錯綜しています。
「愛国心を否定せよ」とする共産主義運動が、東京裁判を利用して戦前の日本の全否定を行ったというのも否定派が昭和30年代くらいから幅を利かせてきた一つの原因ではないでしょうか。
小林よしのり氏の論はかなり粗があるらしいですが、そのようなものが広く受け入れられてしまうのも、これまで不当とも言える否定論がまかり通ってきたのが一つの原因ではないかと言う気がします。
「嫌韓流」という漫画が流行っています。この漫画は最近の韓流ブームに乗らず、韓国の日本に対する不当な態度について糾弾しており、そこの部分は評価できます。しかしその一方で、「朝鮮に誇るべき文化などない」などと言い切っています。
なぜ「嫌韓流」のような極論が幅を利かすのか?これはマスコミが変に親韓を煽って、彼らの日本に対する敵意や不当な歴史歪曲(日本や日本文化の起源捏造など)についてまったく報道してこなかったことの反動ではないかと思います。
それと同じようなことが先の戦争の評価についてもおきているのではないでしょうか。
Posted by: X | October 10, 2005 02:58
【周囲の大人たち】
>満州で日本軍や軍属が中国人にどれほどひどいことをしたか、いろいろ話してくれました。
しかし実際には中元から満州に中国人が大量に流入しているのです。日本人と同様の扱いではなかったでしょうが、そんなにひどいことをしていたのであれば、満州から逃げ出していたのではないでしょうか。
>周囲の大人たちは、あの戦争は軍部にだまされたのだ~
主権回復後の立法も行政も、戦犯は国内法の犯罪者ではない、という扱いを決めています。
別に私とて賛美をしているわけではなく、安易に「一方的に戦争に送り込んだ側」といった批判をすべきではないと主張したいのです。
「周囲の大人たち」ですが、今も、不況や自殺者の増加は政府の責任だと考えている人が多いですね。
でもそれが正当な意見なのでしょうか?実際には、バブル以前から時系列で見ると、バブル後もインフレ率が低いまま所得が増加していると言う点ではそんなにおかしな状況ではないそうです。バブル経済を標準と考えるから大不況だと思ってしまうのではないのでしょうか?世界で「不況」というと、米国なら「車を売って近所で共有した」、韓国なら「小学生の2/3が一日二色しか食べていなかった」というレベルのものらしいですから。
経済に関してそれほど詳しいわけではありませんが、デフレが進行したのは、東京の物価はニューヨークに比べて云々、のような議論で価格破壊が進行したことと無関係ではないでしょう。「日本は物価の高さで雇用を確保しているのだ」という議論も90年代初め頃にはあったのを覚えていますが、「周囲の大人たち」はあまり肯定的ではなかったように思います。私の父も「今は国民が価格破壊を望んでいるのだから」などと言っていました。
「火達磨になって改革する」と言って成立した橋本内閣は「景気対策が不十分で『橋本不況』を起こした」という理由で支持を失いました。構造改革という長期課題を目標としたのに、景気対策という短期課題で評価した国民、そして国民の喜ぶことしか書かないマスコミは正しいでしょうか?
田中真紀子氏も外相としてものすごく歓迎されていましたが、今現在、外務大臣としての彼女の能力を肯定する人はほとんどいないのではないでしょうか?それまで外交についての主張も見られなかったのに外務大臣にする、という小泉人事に対する懐疑的見方は少なかったように思います。
指導者を批判することができなかったことを反省するのではなく、後になって指導者を批判するだけの「周囲の大人たち」は、無視するべきではないにせよ、鵜呑みにすべきではないと思います。
Posted by: X | October 10, 2005 03:05
【国内の弾圧について】
>その一方で、一般市民に対しては、徹底的にコントロールした。治安維持法、憲兵隊、赤刈り。
>15年戦争の指導者は、自らに甘く、国民には厳しかったという点で、国民の指導者としてふさわしくなかったと考えています。
彼らは自分に権限がなかったにもかかわらず、多くは切腹したり、東京裁判で自分の弁護よりも日本の言い分を主張して刑に服しています。必ずしも自分に甘かったわけではないでしょう。
国民に対する制約は戦時中ならばしょうがない面もあったと言えます。すべてがそうだったとは言いませんが。
今でも韓国には国家保安法という、治安維持法をモデルとした法律があり、これの廃止には否定的な意見が多いと言います。非常時の国家など当時はそれが普通だったのではないでしょうか?
治安維持法の対象は当初、過激派だったはずです。左翼だけではなく右翼も治安維持法により大量検挙されています。その後対象範囲が広がり、大本教が検挙されるなどしましたが、結局教祖の出口王仁三郎は無罪判決になりました。憲兵が猛威を振るったのも過激派がほとんどだったのではないですか?
警視庁特別警備隊は軍部の武力蜂起に備えて設置されたもので、当時の状況は左右の過激派に対し非常な警戒感を持たざるを得ないほどの社会不安があったということが推測できます。
しかしその後の運用に関しては政府にとって不都合な人間を弾圧するための道具となったようです。
ここで今必要なのは、「治安維持法=悪法」という前提に基づいて話をするのではなく、なぜそのような法律を作らねばならなかったのか?なぜ運用が暴走したのか?その功罪は何か?を冷静に分析することではないでしょうか?(今現在は、「天皇制国家を維持し侵略戦争遂行のために不当に国民を抑圧した世界最大の悪法」みたいな一方的な論評が多いように思います。)
戦争遂行に関しては指導層でも意見が割れていたのであり、議会でも軍部を批判する者がおり、近衛文麿や石原莞爾も東条批判を堂々と行っているところをみても、憲兵や治安維持法による弾圧は少なくとも戦争遂行のために行われたものとは違うと思われます。
無論、民主主義の価値観から見て正しかったとは思いませんが。
「赤狩り」は戦後の日本や同時期のアメリカで行われたものを指すのが普通ですので、ここでは述べません。
Posted by: X | October 10, 2005 03:08
【では彼らは指導者としてふさわしかったのか?】
難しい質問ですね。絶対的に評価すれば、ふさわしくはなかったでしょう。当時の同盟国の指導者の評価もそんなものだったようです。
チャンドラ・ボース
「東条はYesNoがハッキリしているところが非常に良い。日本という国が偉いことは認める。良い兵隊がいて良い技術者もいる。ただし良い政治家がいない」
しかし当時の日本人で誰が相応しかったのか?なぜその者は指導者にならなかったのか?
そういうことを考えると、もしかすると彼らはもっとまずい人物が力を握るのを防いだと言えるかもしれません。
東条内閣総辞職後に成立した小磯内閣など、大東亜会議の内容を反故にして大東亜各国に対する外交権を抑え込もうとしているくらいですから。実現はしませんでしたが。
もしかすると当時の指導者は、当時の日本人が持ちえた指導者としては、BestもしくはBetterだったかもしれない、という肯定的な結論もありかもしれません。
Posted by: X | October 10, 2005 03:09
x様へ
あなたの論では
「現在進行形の事象に関してもすべてが無力」
ともとれる。
我々は
歴史上 プレーヤーではないのか
それとも
歴史上 ただ ただ 「祈る人」なのだろうか。
もちろん「祈り」(自分の無力さも理解していますが)はするけれども
「プレーヤーである」責任もあると思うが・・。
プレーヤーとして作戦のミスは
「わかった時点で対応しなければならない」
終戦後
「腹を切っていただいても」
意味がないと思うのですが。
Posted by: わりこみ!! | October 12, 2005 00:43
>わりこみ!!さん
コメントありがとうございます。
ただ、長駄文を書き続けてきた私が書くのも何なんですが、申し訳ありませんが文意を汲み取れませんでした。。
>あなたの論では「現在進行形の事象に関してもすべてが無力」ともとれる。
私は誰かが無力と書いた覚えは無いのですが、、、「日本は相当な力を持った国家だった」とは書きましたが。
>我々は歴史上 プレーヤーではないのか
>それとも歴史上 ただ ただ 「祈る人」なのだろうか。
「我々プレーヤー」とは誰でしょうか?国家ですか?文字通り我々国民?あるいは政治的軍事的指導者?
「祈る人」とは何でしょうか?最初この議論は「靖国と消防士」で始まったのですが、「祈る人」とは「靖国の英霊に祈る人」ですか?それとも「国際情勢が自分に都合よくなるように祈る人」?「指導者がうまくやってくれるように祈る民衆」?
>プレーヤーとして作戦のミスは「わかった時点で対応しなければならない」
何の話のことでしょうか?
>終戦後「腹を切っていただいても」意味がないと思うのですが。
敗戦後に、多くのリーダーが逃げたり裁判の席上責任のなすりあいをしても問題なかったということでしょうか?
非常時に、リーダーが法律で定めた以上の責任を負う覚悟で決断を下すことが、そしてそういう歴史が後世に残ったことが、意味が無いとは私は思いません。
わりこみ!!さんの言葉で書き直せば、私の主張は
「我々日本人はかつてプレイにおいて外国によって追い込まれ、敗れた。そのときの体制や戦略についての反省は必要だ。しかし現在の繁栄の礎も築かれた。当時のプレイヤーとして犠牲になった方々には感謝と哀悼の意をささげよう」
といった感じです。
わりこみ!!さんの文章全体を眺めると、「我々は歴史上 プレーヤーではないのか」と書きつつも実際には、「我々国民はプレーヤーじゃない。プレーヤーだった人に被害を負わされただけ」といったニュアンスを感じるのですが、如何でしょうか?
Posted by: X | October 15, 2005 20:32
久しぶりに、書き込みの時間がとれました。
思ったよりたくさんの方から意見をいただき、感謝しています。
ここのイシューについては、考えるポイントにしてもらいたかったということで、それ以上のコメントは差し控え、別のイシューに移ろうかなと思っています。それぞれの方が、自分の親世代、祖父母世代の考えに少し向き合ってもらえるといいなと思っています。
今回一連の議論の中で、ふたつのイシューを抽出しているので、それは別のスレッドにします。
●15年戦争と敗戦は、今日の繁栄の礎を築いえるのか?
●自殺者の増加は政府の責任なのか?
考える時間もあると思うので、ちょっと時間差を置いてアップします。
Posted by: paco | October 17, 2005 22:03
そうそう、ひとつだけ、反論しておきます。
> 治安維持法の対象は当初、過激派だったはずです。
> 左翼だけではなく右翼も治安維持法により大量検挙
> されています。
> 憲兵が猛威を振るったのも過激派がほとんどだったので
> はないですか?
という点は、理解が足りていないと思います。当時の言論弾圧と、それを恐れての言論自粛は、旧ソ連や東欧並みのすさまじいものだったと考えるべきです。このあたりは、当時、つかまらなかったほとんど唯一の反政府的な知識人といわれた長谷川如是閑(にょぜかん)の著作を読むと、政府を批判することがどれほど難しかった、見えてきます。身近なところでは「少年H」などもありますね。
ジャーナリストや知識人であっても、家族の生活や命をはってまで、自分の主義主張を発表できるものではありません。
当時の憲兵、軍部の思想弾圧は、政府の要人(文民)も恐れて発言を控えるというほどのものですから、一般庶民はとてもまともに意見をいえる状況ではありませんでした。実際、教も、戦前の言論弾圧と、言論者への不当な逮捕、拷問についての裁判再開がニュースになっていましたが、それほどひどいものだったのです。
そのような状況を作り出しておいて、国民が政府を支持していたと考えるのは、合理的ではありません。
Posted by: paco | October 18, 2005 03:21
>当時の言論弾圧と、それを恐れての言論自粛は、旧ソ連や東欧並みのすさまじいものだったと考えるべきです。
長谷川如是閑の著作については読んでないのでなんとも言えません。
「少年H」は断片的にしか知りませんが、これは史実を大幅にゆがめているということで分厚い批判本まで出版された曰くつきの本ではないですか。あくまでも小説として捉えるべきではないかと。
治安維持法については、「治安維持法で共産主義者を壊滅させたために、日本は戦後ソ連や東欧のようにならなかった」などという意見も見かけます。
具体的な対象者を見ると、もともとは共産主義者だったものが1941年の改正において国体変革者というところに焦点が移っています。このあたりのところで「ソ連・東欧なみに厳しくなった」というのならば(根拠が無いとはいえ)納得できなくも無いですが、当初から悪法であり戦争へ導いた法とするにはもう少し検証が必要ではないでしょうか?そして
>そのような状況を作り出しておいて、国民が政府を支持していたと考えるのは、合理的ではありません。
治安維持法を、あるいは政府を支持するかどうかということ、外交政策を支持するかどうかということはまた別かと思います。
とはいえ、私は治安維持法とその雰囲気についてはちゃんと調べて知っていると言うわけではないのですが。。。
Posted by: X | October 23, 2005 14:36