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15年戦争、開戦判断の是非のイシュー

靖国と消防士という記事へのコメントでXさんと議論が続いています。コメントが長くなってきたので、新しい記事を立てます。

Xさん、実に詳しいですね。僕は詳細な史実をひとつひとつ覚えるというアプローチをしていないので、反論のほうも、ひとつひとつ確認していく形はとりません。

それと、イシューが細部に入り込んでいるので、もう一度確認したいと思います。

Xさんとの議論で僕が考えたいことは、「戦争という選択肢をとったこと是非」です。そして、その選択は1945年の敗戦につながるわけですが、選択の始まりは1930年代、5.15事件から満州事変あたりを最初の一歩として、日中戦争、対米戦開戦(1941年)に重大な意思決定を迎え、その後、敗戦へと突き進んでいくわけです。この15年間、<日本の指導者>が行った<戦争への意思決定>は、妥当といえるのか、という点が、今のイシューです。

この一連の判断で、特に考えておきたいことは、国を指導する人間が、先を読み、戦略を立て、特に撤退を含めた戦略オプションを用意できていたのか、そしてオプションを選ぶ際、合理的に選べていたのか、という点です。

特に戦争を始める段階で、国家戦略に基づいた戦争目的の設定と、戦争をどのように終わらせるかの戦略、そして計画通りに行かなかったときの撤退(和平)オプションが用意できていたのかが重要です。国を指導し、国民を戦争に追い込むからには、戦争の戦略的な意味合いと、その後のオプションが用意されているのは最低条件です。ここまで見てきた一連の判断のタイミングで、日本の指導者がそれを持っていたとはいえないのではないか、というのが僕が言いたいことで、よって、この戦争の判断は間違いだった、というのが僕の考えです。
で、これまでの議論の中で、戦争への意思決定に影響を与えたであろうことがいくつか出てきているので、整理しておきます。たぶん、以下の3点が重要ではないかと思います。

この点については、また別記事で。

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Comments

>特に戦争を始める段階で、国家戦略に基づいた戦争目的の設定と、戦争をどのように終わらせるかの戦略、そして計画通りに行かなかったときの撤退(和平)オプションが用意できていた>特に戦争を始める段階で、国家戦略に基づいた戦争目的の設定と、戦争をどのように終わらせるかの戦略、そして計画通りに行かなかったときの撤退(和平)オプションが用意できていたのかが重要です。

戦争目的:
米国の対日石油禁止措置はじめ経済封鎖に対する譲歩を勝ち取る、もしくは対抗するだけの産油地域を欧米植民地から奪取すること。
日本は日米交渉の時点で、大陸からの期限付き撤兵と引き換えに譲歩を得ようとしていた矢先に、ハル・ノートが出てきた。

戦争をどのように終わらせるかの戦略:
日露戦争同様の短期決戦講和論→真珠湾攻撃へ

計画通りに行かなかったときの撤退(和平)オプション:
米国に対抗できる大東亜圏の確立→大東亜会議開催へ

さらに失敗→一撃講和論

ですね。

Posted by: X | September 23, 2005 at 19:32

コメント、ありがとうございます。
論点と対立点を絞り込んでいきましょう。

戦争目的については、1941年秋以降の状況としてはよいとして(そもそも米国を刺激しすぎたという問題はあるとしても)、戦略オプションの是非について考えてみましょう。

> 日露戦争同様の短期決戦講和論→真珠湾攻撃へ
> 米国に対抗できる大東亜圏の確立→大東亜会議開催へ
> さらに失敗→一撃講和論

この、戦略オプションは、注意深く見ると戦略性がないというべきでは? 

まず、短期決戦ですが、三国同盟結んでいるので、米国が対独戦を開戦することになり、単独講和は難しく、短期決戦論じたい、自己矛盾をおこしています。三国同盟は、対米戦の抑止効果はあるとしても、戦線を開いてしまえば、かえって足かせになってしまう。だからこそ、三国同盟締結時に、「ドイツと米国が戦争になっても、日本は独自に開戦判断ができる」という条文を入れようと努力したわけです。結局ヒトラーに押し切られて、条文上、完全な軍事同盟になっているため(相互参戦)、その時点で、対米戦は長期戦になる可能性が高かった。その一方で、長期戦になれば、南方の資源地帯からの物資輸送が重要になるのに、シーレーン防衛にはほとんど戦力を割かなかった(割けなかった)。

実際、三国同盟は対独戦の開戦理由を探していたルーズベルトにとって、うってつけの口実を与えてしまった。おそらく、三国同盟をルーズベルトは利用すべく、日本を追い込みんだというのが本当のところでしょうが、それはここのイシューからずれるのでやめておきましょう。

三国同盟がなかったとしても、米国が日中戦争当時からアジアの権益に積極的に関わっていたこと、フィリピンが米国の太平洋の足がかりであって、フィリピンへの影響力が弱まることをやすやすと受け入れるとは思えなかったこと、圧倒的な経済力の差=戦争遂行能力の差を考えると、一撃で米国が講和に出てくる可能性は非常に低いと考えられます。また、もし一撃で講和を狙うなら、よき仲介者の確保は必須だったわけですが、その仲介者を確保できないほど孤立していた、あるいは孤立していることに気がつかなかった。

つまり、ここでのオプションは、オプションといえないような戦略性のないものだと僕は考えます。

Posted by: paco | September 24, 2005 at 00:30

返信遅くなりまして申し訳ありません。

戦略オプションに一貫性が少なかったことについては同意します。
まったく実現の可能性が無かったとは思いませんが。

>短期決戦論じたい、自己矛盾をおこしています。

この同盟に関しては、それ以前からもドイツによる国民党の支援、独ソ不可侵条約締結、独ソ不可侵条約の一方的破棄などといい加減なことをされており、日本側は、開戦直前の日米交渉で
「米国の対独参戦についての解釈は独自に行い、他締結国の解釈に拘束されない」
という条件を三国同盟に入れることを状況打開の条件として米国に提示したりしています。
当時の指導者が独伊との条約をどう考えていたのかはわかりませんが、以上の状況推移を考えると、生き残るためには単独講和はやるくらいのつもりの者がいたのではなかったかと思われます。イタリアはバドリオ政権が単独講和に踏み切っています。
たらればの話は不毛かもしれませんが、ミッドウェイの敗戦が無ければ短期による単独講和の可能性はあったのではないかと思います。

 #なお、「単独非講和」を約したのは同盟締結時ではなく日米開戦後です。
 #もちろん、これをもって国家戦略に一貫性が無かったことを否定したりはしませんが。


>圧倒的な経済力の差=戦争遂行能力の差を考えると、一撃で米国が講和に出てくる可能性は非常に低いと考えられます。

それは負けた後の感想です。日露戦争でロシアが講和に応じる可能性は非常に低いと考えられていたでしょう。開戦直後にロシア皇帝は大喜びしたそうです。

Posted by: X | October 02, 2005 at 23:10

ただし、ミッドウェイ敗戦自体が長期戦論と短期決戦論の矛盾から起きている面が強く、戦略オプションに一貫性が少なかったことは否定しません。当時の権力構造の欠陥がまるまる出ている感じですね。
陸軍に短期決戦という発想は弱く、海軍内にも長期戦派と短期決戦派がいて、国家戦略を立てるべき政府には軍を抑えられる権力が無かった。
それが状況の分析と一貫した戦略立案を邪魔したというのは致命的でした。

短期決戦論者の山本五十六は三国同盟に反対しています。
松岡洋右が主導した三国同盟は、ソ連を加えた四国同盟にすることで米国の手出しを防ぎ、戦争を回避するという戦略目的がありましたが、ドイツの独ソ不可侵条約の破棄によってこの方策は破れました。
そしてこの二人はいずれも対米開戦反対論者だった。
指導者個々人内で自己矛盾をきたしていたのではなく、当時の日本の権力構造が各指導者間で矛盾をきたすようになってしまっていたと言えるでしょう。

Posted by: X | October 02, 2005 at 23:11

「陸軍に短期決戦という発想は弱く、海軍内にも長期戦派と短期決戦派がいて、国家戦略を立てるべき政府には軍を抑えられる権力が無かった。」

というあたりは、意見が一致してきてうれしいです。

短期決戦、講和という戦略は、僕は考え方としてはありだったと思います。1941年まで来てしまった時点としてみれば。

でも、もし短期決戦をめざすなら、少なくとも仲裁をしてくれる第三国を押さえておくべきだった。日露戦争における英国のような存在です。しかし日本はすでに完全に孤立していて、だれも仲裁を頼める人がいなかった。「短期決戦戦略」では、完全に打ち負かせなくても、繊維をくじいて、引き分けに持ち込むということですから、どうしてもよき仲裁者が必要です。でも戦争前も、戦争開始後も、そういう仲裁者を捜す努力をしていない。これは戦争指導が崩壊していることを意味します。

単なる判断ミスではなく、戦略になっていない戦略を、戦略であるかのように見せていた(見ていた)という、ミスを犯した、というか、戦略についての能力が欠けていたのです。そういう指導者を、僕は、「彼らなりにがんばった」ということはできません。

Posted by: paco | October 03, 2005 at 02:05

返信遅くなって申し訳ありません。

日露戦争の仲裁役は米国ですね。英国は同盟国でロシアを牽制してくれていましたから。

>戦略についての能力が欠けていたのです。そういう指導者を、僕は、「彼らなりにがんばった」ということはできません。

例えばソ連。今から見れば彼らに頼ろうとしたと言うのは馬鹿馬鹿しいしい限りですが、ドイツが西から攻めている状態ならば可能性はあったかもという判断はありだったかもしれません。
昭和天皇は「三国同盟反対でソ連を仲介役にできる」と考えられていたらしい、だから近衛を派遣しようとした、その近衛は「ソ連は仲介役になってはもらえないだろうが三国同盟で米国を牽制」、松岡は「三国同盟+ソ連の四国で米国に対抗」、
がそれぞれのスタンスだったことから考えても、ソ連に対する見方は割れていたのではないかと思います。
日露戦争のときも米国による仲裁は疑問視する声があり、伊藤博文により米国に派遣された金子堅太郎自身が懐疑的だったらしいです。必ずしも確保できた上で開戦に至ったわけではなく、手遅れになる前に開戦し、戦いながら仲裁を頼むと言うスタンスで何とか成功を収めました。
というか、最初から仲裁を頼めるような国とは、むしろ同盟関係になっているでしょう。

当時の戦略と言うのは、(明示されてはいなかったですが、)地政学的に言えば、日本はランドパワーとの同盟により生き残ると言うものではなかったでしょうか。だからこそランドパワー国たるドイツと組み、ソ連と組むあるいは仲裁を頼もうとした。
この種の考え方は今でも、米国中心の外交政策を否定する一方で、中韓との関係を重視し「東アジア共同体」を作る、という考え方として根強く残っています。日米関係についてのスタンスは違えど、「東アジア共同体」という点では自民党も民主党も一致して政権公約に掲げているのです。

しかし言われるとおり、失敗は失敗です。私は天皇もしくは首相の独裁が可能な憲法であれば、ある程度整合性のある戦略が可能だったのではないかと思います。やはりこれも体制の問題であったというのが私の見解です。もっとも独裁で切り抜けてもいずれ破綻しそうな気はしますが。
(今は独裁と言う言葉は忌み嫌われる傾向にありますが、本来忌避すべきは「専制」であり、権限範囲と期間を明示した独裁はあまり否定しきれるものでもないでしょう)

Posted by: X | October 10, 2005 at 00:56

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