15年戦争の、論点(3) ~日米開戦決断の是非
(3)日本は対中戦の最中に、対米戦までも決意した。その判断は適切だったのか。
1930年代を通じて、日米はぎくしゃくした点はあったにしても、日本は米国から石油と鉄鋼の大半を輸入し、それに頼って軍備も拡張している状況でした。
日本海軍は確かに当時の軍としては大きなものだったにしても、ワシントン条約で規定された海軍備は英国:米国:日本=5:5:3ということからもわかるとおり、仮に米国と戦争になれば原理的には5:3の比率で戦うことになる状況でした。「日本海軍は米国と戦うようにはつくられていません」と山本五十六も開戦を拒んでいます。
そもそも日本には、中国と米国、ふたつの戦争を同時に戦う国力があったのか。そして戦う国力があるという判断は妥当だったのか。開戦にあたって、戦争終結のシナリオはあったのか。
ここでも、合理的な戦略決定と、計画ずれたときの変更(撤退)婦ションが検討されていない。
で、この点については、Xさんも指摘していて、
> 権力を引き寄せるのは国家の中の一組織の動きとしては自然で、問題は体制にあ
> るのです。日本の体制の問題点は、権力が集中していたのではなく分散していた
> ことです。首相に権力が集中してるのかと言うとそうでもない。天皇は輔弼責任
> の条項があって政府と軍の決定の承認のみ。東条は首相・陸相・参謀総長を兼ね
> ながら、やはり対米戦の矢面に立つ海軍のことは把握できなかったそうです。当
> 然政治戦略の整合性も陸海軍の戦略の一致も取れるわけが無い。
僕が「イシュー」のところでも書いたとおり、結局ぼくが一番問題にしたいのは、ここです。
> 東条は首相・陸相・参謀総長を兼ね
> ながら、やはり対米戦の矢面に立つ海軍のことは把握できなかったそうです。
という点は特に重要で、1930年代からずっと戦時国家をやってきて、国民には挙国一致、天皇のために死ねというメッセージを出し続けた国家の、中枢にいる人間が、ひとつの意思決定方法を持っていなかった。むしろこの矛盾を隠すように、国民に対しては言論を統制し、意思決定に戦略がなく、指導者がバラバラになっていることを隠し通した。こういうやり方を変えられないのに、あれだけ大きな戦争を決断した、ということに対して、僕は「かっこわるい、みっともない判断」と言っているのです。
確かに、制度上の問題で限界があったという「説明」はつく。でも国民には人権も(当時認められいた程度の人権でしょうけど)を剥奪し、法律も強引な解釈をして、強引な誘導をしていたのに、やっている指導者は権力をひとつに束ねることさえできなかった。この指導力不足を、問題にしているのです。
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Comments
pacoさんもxさんも歴史をよく勉強しておられるので久々にプリントアウトして読ませてもらいました。
私はそんなに勉強していないので コメントできません。
ただ私の祖父はラバウルで戦死、毎晩その人の写真の下で寝ています。
戦争責任 難しすぎるが いろんなものの力で起きてしまうし、今もその可能性は大きいのでどうしたらコミュニケーションできるかを考えたいとは思います。
Posted by: ikeo | September 22, 2005 12:50
(3)日本は対中戦の最中に、対米戦までも決意した。その判断は適切だったのか。
「適切だったのか」って、、、対米戦に限定すれば、自衛戦争だったと言えるいうことは、pacoさんもパル判事やマッカーサー同様認めていたではないですか。
戦争終結のシナリオに関しては、短期決戦で米国の戦意を殺ぐ(海軍の短期決戦案)か、大東亜共栄圏の確立で米国圏に対抗する(陸軍の長期持久案)がありました。どちらも成功の可能性が無くなった結果、東条内閣が倒れたのです。
>1930年代を通じて、日米はぎくしゃくした点はあったにしても、日本は米国から石油と鉄鋼の大半を輸入し、それに頼って軍備も拡張している状況でした。
これに関しルーズベルトは「日本に石油を輸出しているのは、日本が戦争を起こさないためだ」と言っています。つまりアメリカの指導層は、対日石油禁輸措置がどのような結果を生むかを知った上でそれをやったのです。
>日本海軍は確かに当時の軍としては大きなものだったにしても、
>「日本海軍は米国と戦うようにはつくられていません」と山本五十六も開戦を拒んでいます。
だから海軍はずっと対米開戦は反対でした。最後の最後で開戦を決意したときも、海軍作戦の責任者である永野軍令部総長は「戦っても亡国かも知れぬ」と言っています。指導者がそこまでの覚悟で「自衛」と呼ばれる戦争をするに至った経緯について、pacoさんはあっさり流しすぎていると思うのです。
>> 東条は~という点は特に重要で、~中枢にいる人間が、ひとつの意思決定方法を持っていなかった。
これは東条の責任ではなく体制の責任です。東条は日米開戦直前に首相になったのです。いきおいで多少美化しすぎな書き方にはなりますが、
彼は対米開戦には反対でした。しかし開戦に追い込まれるとできうる限り権力を集中して戦争指導をしました。それでも不十分でしたが、彼は一身に責任を負おうとしたのです。
「責任はすべて私にある。天皇陛下をはじめ他の者にはない」
これに相当する描写が、消防士の例えにはありませんね。無いからこそグロテスクになるのではないですか。
>制度上の問題で限界があったという「説明」はつく。
説明がつくならばいいではないですか。指導者の指導力不足ではなく、体制が必要な指導力を持たせることを拒んだのです。
彼らは能力の及ぶ限りできるだけのことはした。少なくとも後世の日本人が、現在の繁栄を得るために有効な代替策を思いつかないくらいに。
失敗の原因を分析・反省することと、例えにもならない話を引いてきて特定の人を批判したり揶揄したりすることとは違います。
>法律も強引な解釈をして、強引な誘導をしていたのに、やっている指導者は権力をひとつに束ねることさえできなかった。この指導力不足を、問題にしているのです。
誰かがそれこそ法律の最高峰たる憲法を無視して独裁者になっていれば、戦争はおきなかったかもしれませんね。しかし憲法に違反しなかったことを責めるのはフェアではではないでしょう。
何度も書きますが、一つに束ねることができなかったのは、当時の日本のシステムのせいです。負けたのは日本と日本人が持っていたシステムが一つの大きな要因でしょう。一部の国家指導者が無責任に火事を起こし、一般国民を戦争に駆り立てて自分は責任も取らなかったのとは違います。少なくとも当時の国家指導者はかなり無私な態度で命を張った判断をしていたのだと私は考えています。
Posted by: X | September 23, 2005 19:51
ここでも2点。
> これは東条の責任ではなく体制の責任です。
この点は、僕もまったく同感です。ただ、その体制を放置した責任はある。
> 誰かがそれこそ法律の最高峰たる憲法を無視して独裁者になっていれば、戦争は
> おきなかったかもしれませんね。しかし憲法に違反しなかったことを責めるのは
> フェアではではないでしょう。
> 何度も書きますが、一つに束ねることができなかったのは、当時の日本のシステ
> ムのせいです。負けたのは日本と日本人が持っていたシステムが一つの大きな要
> 因でしょう。
システムや法は、人間が決めるものです。もしその方のもとでは戦争をやっても勝てないなら、法を変えるか、戦争をやめるか、どちらかでしょう。
「法と制度の範囲内ではがんばった」のは事実かも知れませんが、それでは、人間がほうが、法や制度の矛盾に押しつぶされる結果になります。
仮に、憲法や制度を尊重するという判断をするなら、僕とXさんとで食い違っているのは、以下の点です。
> 彼は対米開戦には反対でした。しかし開戦に追い込まれるとできうる限り権力を
> 集中して戦争指導をしました。それでも不十分でしたが、彼は一身に責任を負お
> うとしたのです。
この状況は、僕から見ると、東条が、負いきれない責任を負ったつもりになっていた、と見えます。国民から見れば、権限と責任を持っているのだろうと信頼したけれど、内実は穴だらけだった。
何しろ、軍と政府の長が、出先機関である関東軍や現地派遣軍に、たびたび命令を無視されている。
僕が問題にしているのは常にこの点なのですが、コントロールできていないのに、責任を持てると宣言するというのは、結局のところ強がりに過ぎません。
コントロール不能に陥った船の船長は、戦いに出るのではなく、港にかえって修理しなければならない。それなのに、引き返すことができなかった。
船が座礁しないように注意し、きちんと舵輪も切っていたのに、船尾の舵のほうは曲がっていなかった。あるいはエンジンを絞ったのに、機関夫はエンジンに燃料を送り続けた。そういう状況と理解する方が妥当なのでは?
戦う体制ができていないのに戦う決断をすることが、「責任」と言えるのでしょうか。
> 最後の最後で開戦を決意したときも、海軍作戦の責任者である永野軍令部総長は
> 「戦っても亡国かも知れぬ」と言っています。指導者がそこまでの覚悟で「自衛」
> と呼ばれる戦争をするに至った経緯について、pacoさんはあっさり流しすぎてい
> ると思うのです。
いや、僕から見ると、Xさんの立場のほうが、あっさり認めすぎているように見えます。
指導者が「戦っても亡国」と考えている戦争に進むというのは、まったく理解できません。戦っても亡国なら、戦わない方がずっといい。戦っても亡国という状況に追い込まれた時点で、指導者としては失格なのです。亡国の瀬戸際に国を立たせないようにすることが、指導者の役割ではないですか?
僕は、基本的に戦争という解決手段を認めていないのですが、仮にそれを認めるなら、勝算が十分ある場合に限られると考えています。
勝算が十分にないなら、戦争にならない方法を徹底的に探らなければならない。場合によっては、恥を忍んで妥協や撤退もする。そういうリアリティを、当時の指導者ができていたとは思えません。
Posted by: paco | September 24, 2005 01:52
>(3)日本は対中戦の最中に、対米戦までも決意した。その判断は適切だったのか。
>「適切だったのか」って、、、対米戦に限定すれば、自衛戦争だったと言えるいうことは、pacoさんもパル判事やマッカーサー同様認めていたではないですか。
>戦争終結のシナリオに関しては、短期決戦で米国の戦意を殺ぐ(海軍の短期決戦案)か、大東亜共栄圏の確立で米国圏に対抗する(陸軍の長期持久案)がありました。どちらも成功の可能性が無くなった結果、東条内閣が倒れたのです。
pacoさんとXさん、お二人のやりとりを通して見ていましたが、論点(イシューという言葉は使い慣れていないのであえて論点といいます)のすれ違いはこのあたりにつきるような気がします。
「適切な判断」の言葉の定義がそれぞれ違っていると思います。
pacoさんは、戦争を開始する決断をするときに、あらゆる結果を想定し、いくつかのオプションを用意した上で決断することを(私の表現で抜けがあるようでしたらすみません)「適切な判断」と定義していますが、これを受けてXさんはこの場面のみを見ると「自衛の戦争をすることは適切な判断」と応じているように見えます。
さらに、当時の当事者が何をもって適切と判断していたかは、私たちにとって参考情報にはなるにしても、今ここで議論している我々が適切だと思うこととは別のことだと思います。
私たちは、私たちの価値観で判断するからこそ、ここで議論する意味があると思うのです。
昔の誰それがどう考えていたか、どう判断したか、までで話が終わるようであれば、それは歴史そのものを対象にした場で議論することだと思います。
眠いのですこしお二人の発言を誤認しているかもしれません・・・その際はご容赦を!
Posted by: bubbly | September 30, 2005 03:55
bubblyさん、コメントありがとうございます、これだけコアな議論になると入りにくいですよね。他の方も、気軽には言ってくださいね、素朴な疑問も歓迎します。
イシューなどの言葉については、堅苦しく考える必要はありません、ここは論理思考のクラスではないし、厳密に考える必要はありません。
で、指摘の点ですが、bubbly さんの言われるとおりだと思います。
僕自身は、この議論をすれ違っているとは考えていなくて、だんだん確信に迫っていると思っています。僕とXさんのように立場が異なる人通しは、簡単に合意に達することはできません。このような問題について、意見(結論)がどちらかにまとまる必要はないし、それはあまりいいことではない。どこが食い違っている場所かが、お互いに合意できればいいのだと思います。
ここまでの議論で、意見が分かれる核心部分は、こんな場所にあると思います。「国内の主要セクションをコントロールできないような指導者は、戦争という選択肢をとるべきではない」という僕の立場と、「たとえコントロールが難しくても、(追い込まれたときには)戦争という手段をとることは認められていい」と考えるXさんの立場です。
僕が、オプションを十分出すべきだといいっているのは、外交部も軍部もコントロールが聞いているということを意味します。実際には、両方をコントロールできる立場が制度上存在していなかった。それで、決断がつかずに戦争が拡大した。
この立場の違いについて、bubbly さんはどちらが妥当だと考えるか、そこを聞かせてもらえると、うれしかったりします。もちろん、わからないという答えもありだと思います。
それと、いまの時代の価値観で判断するというのも、重要ですね。歴史について知る意味は、「今現在の決断」をよりよくするすることが目的ですから。
Posted by: paco | September 30, 2005 19:26
>この点は、僕もまったく同感です。ただ、その体制を放置した責任はある。
敵と揉めている最中に状況を打開するための憲法改正ですか?体制を何とかするのは、状況がそこまで逼迫する以前の政治家達にこそ責任があるでしょう。犬養により統帥権干犯問題が議会に持ち込まれながら、当時誰も憲法改正の動きを誰も起こしていない。文民の手で軍縮をやった実績もあるのに、です。リベラルだった「天皇機関説」の美濃部氏さえも、各司令官は内閣の制約を受けないという憲法解釈を満州事変以前に書いているそうです。
そして結果的にはこの状況が日本を対米戦争に追い込んでしまった。これは日本国憲法の改正が戦後60年間できなかった現代日本人と見事に一致しています。戦端を開いた一部指導者だけの罪だとは思えません。
戦争に「送った側」「送られた側」に分断し、「分断されているからグロテスク。靖国の英霊への感謝・慰霊は不要」とする意見にはやはり賛成しかねます。
>コントロール不能に陥った船の船長は、戦いに出るのではなく、港にかえって修理しなければならない。それなのに、引き返すことができなかった。
港を追い立てられてしまったからです。違う港に行こうとすると航路上には海賊がいた。
>船が座礁しないように注意し、きちんと舵輪も切っていたのに、船尾の舵のほうは曲がっていなかった。あるいはエンジンを絞ったのに、機関夫はエンジンに燃料を送り続けた。そういう状況と理解する方が妥当なのでは?
数代前の船長の時代に、船長が操舵手や機関夫に命令する権限を奪われてしまったからです。
>戦う体制ができていないのに戦う決断をすることが、「責任」と言えるのでしょうか。
戦わなければ船員が餓死するならば、「戦う」という判断もありでしょう。
Posted by: X | October 02, 2005 23:19
>いや、僕から見ると、Xさんの立場のほうが、あっさり認めすぎているように見えます。
まあ、これ↑はそうかもしれませんし、多少その自覚があるからこそpacoさん相手に議論をやってみているのですが、
>指導者が「戦っても亡国」と考えている戦争に進むというのは、まったく理解できません。戦っても亡国なら、戦わない方がずっといい。
その発言者(海軍大将)の考えとしては、「戦わなくても亡国」であり、そして「戦わない亡国」は「魂の亡国」だったのです。なし崩しに亡びの道を選ぶ、あるいは戦う力が無くなってから戦うよりはまだ戦えるうちに道を開くべく努力すべきであり、仮に負けても「先祖がいかに戦ったか」という歴史を後世に残し子孫に奮起の種を残すことが、日本民族の指導者としての義務だと考えたのでしょう。
もちろんこの判断を全面的に支持するというわけではありませんが、白人が世界の8割以上を抑えている時代に、海軍はおろか産業活動が停止し、かつ移民もできない状況がどのような結果を呼び込むか、現代日本人にはなかなか理解できないのではないかと思います。したがって、安直に批判することも私にはできません。開戦の責任を人に押し付けなかった指導者の発言であればなおさらです。
「若い者を戦場に出すならばみんなで奴隷になろう。奴隷なりに道を開く努力をすればいい」
今の日本人ならばこういう判断もできるかもしれません。しかしそれはあの敗戦と戦後の復興という成功体験、そして白人独占ではない今の世界情勢があるからこそできる判断ではないでしょうか。
>戦っても亡国という状況に追い込まれた時点で、指導者としては失格なのです。亡国の瀬戸際に国を立たせないようにすることが、指導者の役割ではないですか?
その通りです。しかしそれはずっと述べてきたように、開戦当時の指導者の責任ではないのです。
「これをやっていれば対米開戦が避けられたのではないか」と思われる転回点は、「十五年戦争」という枠に縛られなければこれまであがった以外にもいくつもあります。
(1)帝国議会の議員達が憲法改正の動きを起こしていれば・・・
(2)犬養毅が統帥権干犯問題を議会に持ち込まなければ・・・
(3)第一次大戦時に英国の要請に応じて欧州に派兵し、日英同盟を堅持できていれば・・・
(4)日露戦争直後に鉄道王ハリマンの申し出に乗って満鉄を共同経営していれば・・・
など。いやそもそも、
(5)明治維新なんかやって先進国を目指さず、「恥を忍んで」英米仏に日本国内の利権を認めて不平等条約も受け入れ、三流国に甘んじていれば、対米戦争で300万以上の国民が死ぬことも無かった。
でも上記の事項の国策決定者たちは、自分の判断が対米戦争につながっていくとは思わなかったでしょうし、それは神ならぬ身には無理もないことだったと私は思います。
Posted by: X | October 02, 2005 23:21
>bubblyさん コメントありがとうございます。
>当時の当事者が何をもって適切と判断していたかは、私たちにとって参考情報にはなるにしても、今ここで議論している我々が適切だと思うこととは別のことだと思います。
>私たちは、私たちの価値観で判断するからこそ、ここで議論する意味があると思うのです。
私はそうは思わないのです。実はpacoさんと私の本当の違いはここにあるのかもしれません。
価値観は状況によって育まれるところが大きいです。
戦前戦中の意思決定の是非を、戦後の状況で育ってきた私たちの価値観のみで判断することは、戦前戦中の状況で育まれた価値観の評価を今の価値観で計ることになります。私はそれが正当なものだとは思いません。当時の指導者たちを批判し「グロテスク」といったような形容をし先人に対する慰霊に対する意見にも関わってくるようではなおさらです。
>歴史について知る意味は、「今現在の決断」をよりよくするすることが目的ですから。
靖国に祭られた英霊をどう考えるか?A級戦犯をどう考えるか?これは「今現在の決断」です。
しかしこれらの決断には、当時の人間の状況や価値観は当然考慮に入れられるべきではないですか。
主権回復直後、日本は戦犯を国内法の犯罪者としては扱わない方針を打ち出しました。これに関し、行政も立法も似たような判断を下しています。
しかし数十年たち、当時の状況を知る者が少なくなったら、そういう判断や当時の細かい状況を調査しないまま、今現在の価値観のみでA級戦犯を国内法の犯罪者同様に扱ってしまってもいいというのですか?
Posted by: X | October 02, 2005 23:39
コメントお待ちしてました(^_^)
A級戦犯合祀問題については、実のところ僕はあまり問題にしていなくて、これは歴史認識の問題ではなく、日本政府と中国・韓国政府との間の政治問題だと思っています。つまり他のもろもろの政治問題を有利にしたり不利にしたりするために、双方とも意図的に利用しているだけで、それ自体が問題になっているわけではないという理解です。
個人的にも「どちらでもかまわない」というレベルで、A級戦犯を犯罪者として扱えと言っているわけではありません。いわゆる犯罪者だと思っているわけでもありません。ただ、あまり尊敬できる人たちだとは思っていないし、そういう意味もあって靖国に参拝することは、あまりありません(絶対行かないと思っているわけでもありません)。
ということなので、残念ながら僕は靖国とA級戦犯問題についてはコメントしたくないのです。すいません、この点は議論放棄です。
他の議論については、新しい記事を立てますので、そちらで。
Posted by: paco | October 03, 2005 01:41
A級戦犯問題に関しては、一つの例えのつもりでした。
今の価値観だけで判断していいのか、というところに反論してみたかったのです。
もちろん、今後亡国の淵に立たされないために、戦略のミスについては今得られている知見・価値観で反省すべきものではありますが、それを直接犯人糾弾や指導者の採点につなげるべきではないと思っているのです。
結局当時の指導者たちに対する裁きは、国内法的には行われないまま終わってしまいましたが、戦略ミスの指摘と法的な裁き・歴史的評価は別なものであると認識しています。
論理的な考察をすればいつの時代から見ても同じような状況判断や決断ができる、と言うのであれば、歴史を学ぶ意味はありません。歴史とは人間が積み重ねていく経験であり、その経験を学んでいくことで少しずつ賢くなりえるのが人間の特徴であると思っています。
今の我々が持っている経験によりできるのではないかと推測された決断(それにしても後世の推測に過ぎませんが)が、70年前の指導者にできなかったと言って批判の対象にすることは、先人たちに対しフェアではないのではないかと私は思います。
Posted by: X | October 10, 2005 01:05
15年戦争の、論点(3)~日米開戦決断の是非
http://pacolog.cocolog-nifty.com/pacolog/2005/09/153_bb9f.html
日米開戦、国際政治学、地政学
20051031
窪田 明の評
インターネットに表示されている事前の日米関係ついての説明は大変立派だったと思いました。
それ以外に、或は、日本の外交を分析批判する場合に、考慮に値する視点は、力関係とか地政学上の問題ではないでしょうか。 筆者は、最近、米国外交官兼学者のジョージ・ケナンの仕事を点検する機会を持ちましたが、彼は、外交に於ける権力問題を軽視してはいません。 國際関係もその一つの面では、軍事的、つまり、暴力的に、最終的に決着される面もあると思いますので、その意味で、ケナンの立場は正しいと思います。 尤も、戦前の日本でも、少なくとも海軍の指導者層だけは、対米関係で、軍事的(実力的)現実的評価を怠っては居なかったと思います。
詰まり、軍事的に米国は、日本より優れて居ると言う事実は、戦前でも、戦後でも変わらないと思います。 尤も、1941年頃までには、一時、日本が、米国に追いつきそうな時代もあったと思いますが、1930年代の国際軍縮条約などでは、日英米間には、3:5:5と言う制約が存在しました。 と言う事は、「力すなわち正義」とか「弱肉強食」の原理が究極的に国際社会に存在する以上、大国は、小国に「勝っ手」を押し付ける権利があり、日本は、満州、中国本土、そして、佛印に関して、米国の要求を受け入れるべきだったと言う理論付けです。
此の問題をもっと政治学的な用語とか概念を使って、分析的に、説明して見ますと、「勢力圏」とか「覇権」の問題だと思います。 例えば、北中南米の場合には、北米合衆国一国が北南米両大陸を通して、圧倒的に優勢な軍事的、経済的、政治的な勢力構造を維持しています。 米国は、「モンロー主義」を主張し、中南米の自立と欧州の植民地的勢力の除去を強調しますが、その反面に、米国自身の現地に於ける指導的地位を否定して居る訳ではありません。 此の勢力圏は、外の列強により大体承認されて来ていますので、ほば安定した形で存続して来ました。 1898年の米西戦争では、米国はスペインを簡単に軍事的敗北に追い込み、その後は、大陸の外からの軍事的挑戦は、1941年の真珠湾攻撃までありません。 勿論、今迄の処、外部から北中南米の直接的勢力浸透の試みは全然ありません。 1982年のフォークランド戦争は、新規の闖入と言うより、現状維持の行為の様だ。
1930年代に、日本の一部の指導者は、モンロー主義のアジア適用を主張していました。 詰まり、その理論の骨子は、「北中南米は米国の縄張りに任す」から、「その代わりに、アジアは、日本に任せて呉れ」と言うものでした。 しかし、米国はその議論を受け入れませんでした。 その代わりに米国が主張したものは「門戸開放主義」でした。 此の門戸開放主義は、当時の日本にとっては、具合いの悪いもので、米国とか欧州は、其れまで、適当な縄張り権を、ほぼ自動的に、与えられ、外部からの列強の干渉を防止出来たのに、日本だけが、その様な縄張り権を与えられないと言うものでした。 更に、日本の議論の国際的な弱点は、日本は植民地獲得に、歴史的に、一番最後になってから着手して居ましたので、其れに対する国際的批判の程度が確率的に高いと言う問題にも当面していました。 「早い時期に、さっと旨くやらないと、大損をする」と言うのは、世界史の現実的な皮肉な展開の一面の様です。
米国が、北米大陸以外の地域で、軍事的、政治的、経済的に、かなり強い関心を持って居ると言う事は、歴史的には、かなり、明白だと思います。 ペリー提督の来航がその一例で、沖縄に有効な軍事基地を維持する事を熱望すると言う点では、ぺリー一軍も現米国政府もそれ程変わらないと思います。 第一次世界大戦が連合国側の勝利に終った事の大きな理由は、米国の参戦だと言われています。 米国は欧州に比べると、長く、後進国と見なされ、その干渉を恐れましたが、この大戦以降には、もっと積極的になり、米国が1941年の日米交渉で、かなり強硬であった理由の一つが、米国の欧州戦争参加の希望だと言われています。 第二次大戦完了後には、米国は、世界的な規模で、軍事基地網を設立しました。 最近では、米国は、中近東そして東欧にもその影響力を強めています。 米国の世界的行動は、領土の取得と言う面では、1945年以前の白人植民地主義とは異なりますが、軍事的、政治的、経済的な意味では、その勢力圏の世界的存続とか拡大に大いに努力している様です。その確立した世界的影響力のレベルが、世界史に余り前例のないものだ思います。
それから、国家としての米国の世界政治に於けるもう一つの特異な点は、その領土的大きさとか経済力の規模の問題だけでなく、その地理的にユニークな位置です。 東側と西側の両側で、大洋に挟まれ、その様な自然的な防壁の為に、外国から殆ど攻められた事がなく、今後も、攻められる可能性が非常に少ないと云う事です。 二度に亘る世界大戦も真珠湾と言う限られた軍事基地の場合を除いて、全部の場合に、米国の領土外で、戦闘行為が行われています。 朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、そして、イラク戦争のそのどれも、米国本土とは関係がありませんでした。 イラク戦争は、始めから、主に、イラク国土内だけで戦われる事は明白だったと思いますので、サダム・フセイン大統領の開戦選択は、東条首相の開戦選択以上の愚採決と言う事になるのでしょうか。
どうやら、日本と言う国にとって、「米国と付き合わない」と言う“政治的”選択は存在しないと思います。 歴史的に米国の世界政治での此れまでの行動を考えて見ますと、「日本を放って置いたらいいのじゃないか」と米国の大統領に言っても、多分、通じないと思います。 にも拘らず、日本側には、「米国とどうして付き合ってゆくのか」と言う事に関しての効果的な理論が存在しない様な気がします。 沖縄基地問題、米製牛肉輸入問題、イラク自衛隊派権問題、ミサイル防衛問題、その他の問題が、現在、日米間に存在します。 今後も、大衝突を避けるのは、必ずも簡単ではないと思います。
以上
Posted by: 窪田 明 | October 31, 2005 14:31