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15年戦争の、論点(1) ~対中国戦略

(1)日本は満州事変、日中戦争の戦略をどのように立てたのか。戦争の出口を用意していたのか?

このイシューは、これまでのところあまり出てきていないのですが、1931年、日本は併合した朝鮮の国境線を越えて、満州に進出し、満州国を建国します。さらに1937年になると、日本は中国と交戦状態になり、全面戦争に入ります。ただし、日本と中国が互いに宣戦布告しておらず戦争状態といえるのかという点については議論があるようですが、まあそういうことは置いておきましょう。7月の盧溝橋事件を発端に、12月の首都南京陥落までの半年に、日本は中国戦線を一気に拡大するわけですが、そもそもこの戦争について、日本は何のために戦争を始め、どこで終わらせようとしていたのかを考える必要があると思っています。結果的に、日本はこの戦争を終わらせるために、対米戦を開始すると考えられるわけですが、そもそもこの戦争を戦略的に開始できなかったところに、大きな問題があったのではないかというのが、僕が指摘したい点です。

1911年までに、日本は台湾と朝鮮を併合して、国土を広げ、植民地を開いて国力を高めようとしていました。台湾、朝鮮に投資も行い、経済成長の面で一定の成果を上げたわけですが、朝鮮はすぐ北をソ連と接しているため、この朝鮮国境を守るために、その先の満州を押さえておこうとした。これが満州事変と満州国建国だと理解しています。日本のアジア進出の足場をつくるために台湾と朝鮮に進出し、それを守るために満州に進出し、そして、満州を守るために中国に進出する。

こういう拡大志向の中で、日本はどこまで拡大すれば「気が済んだ」のか、そしてそれは実際、日本という国に可能だったのか。

Xさんは、当時の日本が朝鮮と満州だけでは市場として足りない、十分な国力を確保できないと指摘していますが、では、どこまで拡張すれば、それが可能だったのか。こういった戦争の目的を日本は持っていたのかどうかがまず問題です。足りないから欲しがるのではなく、どこまで必要か、どこからは不要なのか。その戦略性をもたなければ、ただ欲しがっているだけの子どもと同じです。

また、その「ほしい範囲」を決める際に、列強諸国との力関係をどう読んでいたのかも重要です。侵略を受ける側の、中国がそれをやすやすと受けるかという点も含めて。

そもそも、自分たちのために人の国を欲しがっていいのかという議論ももちろんありますが、ここではあえてこの議論はやめておきます。あくまでも、拡張路線の目的が明確だったか、そのゴールと、終結のためのオプションをもっていたのかという点を考えたいと思います。

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Comments

(1)日本は満州事変、日中戦争の戦略をどのように立てたのか。戦争の出口を用意していたのか?

>満州国を建国します。さらに1937年になると、日本は中国と交戦状態になり、

満州事変は塘沽停戦協定で終了しています。つまり終わらせる方策を立てて終わらせています。
私は「15年戦争」というpacoさんの区切り方に一応は応じていますが、15年戦争という呼称に対してはこの停戦協定があるために不適当とする論も多いのです。

>7月の盧溝橋事件を発端に、~日本は中国戦線を一気に拡大するわけですが、

日本が一方的に開戦し戦線を拡大したかのような書かれようですが、そもそも盧溝橋事件は偶発的事故です。中国国民党と日本軍をぶつけるための、コミンテルンあるいは中国共産党の陰謀によるものとの説が根強く、柳条湖事件のような日本軍の陰謀ではありません。少なくとも日本軍兵士の発砲による証言は無いはずです。
当然参謀本部も現地軍も不拡大方針であり、現地司令官同士では早期に停戦協定が結ばれています。
全面戦争の覚悟を持って国内にそれを呼びかけ、停戦をまとめた中国側現地司令官を説得したのは蒋介石政権であり、それをきっかけに広安門事件、通州事件のような日中の衝突が発生し、居留民保護などの重大問題が関わったために戦線が拡大したのです。

>そもそもこの戦争を戦略的に開始できなかったところに、

つまり戦略的には開始するつもりは無かったのです。
しかも対米交渉時には、国家存続に必要な物資を獲得するかわりに撤兵しようとしており、偶発戦争なりに終結を考えています。

>日本はどこまで拡大すれば「気が済んだ」のか、

別に気を済ますために拡大したのではありません。ここらあたりで今の日本人は当時の日本の指導者を大きく誤解している気がします。
盧溝橋事件当時の日本に、満州朝鮮台湾以上に拡張する積極的意思を見せた国家指導者はいませんでした。
そもそも満州国建国の首謀者石原莞爾自身が、対米戦争の時期を数十年後に設定していますから。
そもそもこれを問うならば、日本が生き残り現在の繁栄を獲得する方策として確実性の高いものを提示すべきでしょう。
以前流された質問ですが、これを提示せずして決定者の批判をするのはいかがかと思います。

Posted by: X | September 23, 2005 at 19:35

>Xさんは、当時の日本が朝鮮と満州だけでは市場として足りない、十分な国力を確保できないと指摘していますが、

していません。私は「朝鮮半島と台湾の植民地経営に、ある程度成功した段階で列強に対抗する国力をつけるべき」というpacoさんの意見に対し、「朝鮮と台湾だけでは列強に対抗する国力をつけるのは無理」と書いたのです。満州は入っていません。
また、pacoさんとは違い、私は列強(というかアメリカ)に対抗する国力をつけることが必要だったとは書いていないし思ってもいません。当時の指導者だって思っていなかったと思います。(だからこそハル・ノートが出てくるまでは耐えた)ただ日本人が生き残るだけの貿易ができれば、アメリカに対抗する必要など無かったのです。(対日石油禁輸解除と引換に中国から撤兵提示)

>列強諸国との力関係をどう読んでいたのかも重要です。

アメリカは開戦前夜の交渉の際、ハル・ノート直前までずっと満州国については触れておらず、事実上黙認でした。また満州国は当時の独立国80ヶ国中23ヶ国から承認を受けています。

以降は余談になりますが、
>侵略を受ける側の、中国がそれをやすやすと受けるかという点も含めて。

満州事変が簡単に侵略とはいえないと言うのがリットン調査団の結果だと前も書きました。
また、満州が中国の領土となったのは1945年にソ連が対日宣戦して満州を占領して以降の話です。清国解体以降は満州族の土地であり、だからこそ愛新覚羅溥儀を擁立したのです。満州国建国以前にも建国運動はあったそうです。中国もまた満州を侵略する側に立っていたというのが公平な見方ではないですか?

Posted by: X | September 23, 2005 at 19:39

こちらのイシューでも、もうちょっと対立点を絞りましょう。

日中戦争開始後の動きは、Xさんの言うとおりだと思います。

問題は、実際に戦線と占領地域が中国大陸に広く拡大していった点が、妥当だったのか、ということです。満州国建国と国際連盟脱退で、ただでさえ各国から警戒されていた段階で、蒋介石の挑発があったとしても、それに乗って戦線を広げていくことが、さらなる警戒感と干渉を招くことはわかっていたはずです。挑発に乗らず、中国本土(中原以南)とは極力距離を置く戦略をとるべきではなかったのか。

これは、Xさんが指摘している「盧溝橋事件当時の日本に、満州朝鮮台湾以上に拡張する積極的意思を見せた国家指導者はいませんでした。」と言うこととも矛盾しません。つまり、積極的に拡張する意思がなかったのなら、きっぱりと軍事行動を避けるべきだった。なぜ、「拡張する意思がない」のに、拡張していくのか、これは国家がコントロールを失っていることを意味しませんか?

Posted by: paco | September 24, 2005 at 00:50

>挑発に乗らず、中国本土(中原以南)とは極力距離を置く戦略をとるべきではなかったのか。

居留民とそれを保護するための駐留軍が危機にさらされても無視して、ですか?

>なぜ、「拡張する意思がない」のに、拡張していくのか、これは国家がコントロールを失っていることを意味しませんか?

これに関してはどうでしょうね。居留民や駐留軍の駐在は条約で決まっていることですし、日本の領土や勢力圏の拡張のための駐留でもない。中国の治安の悪さに対する対策だから、中国では日本だけが相手の条約でもない。
そのような地域・状況でも、日本は最初のうちは不拡大方針を打ち出した。この件に関しては、コントロールは取れていたと言っていいのではないでしょうか。

たしかにその後の日中戦争に対する近衛首相の判断はやや甘く、近衛にシナ事変拡大について責任があることは否定できません。しかし、近衛のシナ事変政策への批判演説をした議員を、当時の衆議院は「聖戦目的を侮辱した」として大多数の投票で除名しており、日本国内でも近衛の判断が特殊だったわけではないでしょう。

Posted by: X | October 02, 2005 at 23:12

「たしかにその後の日中戦争に対する近衛首相の判断はやや甘く」

「近衛のシナ事変政策への批判演説をした議員を、当時の衆議院は「聖戦目的を侮辱した」として大多数の投票で除名しており」

という点は重要です。
僕が批判しているのは、単に首相や陸軍大臣、海軍大臣ではありません。議会も含めた、国の運営を任された指導者全体を問題にしています。

日華事変のタイミングで戦線不拡大は、実に適切な判断だった。にもかかわらず、指導者がそれを支持できなかった。これは国の運営を任された人間として、国際感覚がなかったことを示しています。そういう人間が国の中枢にいた、あるいは、そういうトップに立つ人間でさえ、そのレベルの人材しか育成できなかった、というべきかも知れません。

日本の国の行く先を決める人たちの国際感覚のなさ、判断の甘さ。これによって、軍をコントロールすることができなくなり、進むべきではない道に進んでしまった。

僕は、かつて日本人がこういう判断ミスによって、進むべきではない戦争に進んでしまったことを、今の時代のなかで、十分認識しておく必要があると思っています。

Posted by: paco | October 03, 2005 at 01:59

>議会も含めた、国の運営を任された指導者全体を問題にしています。

その議会は1926年以降、男子普通選挙によって選ばれた議員たちによって構成されています。戦略の失敗は深く反省すべきですが、指導者の判断ミス、で済まされるべきものではないと思います。
この場合、結果に対する責任は指導者だけではなく、国民すべてが引き受けるものではないでしょうか。

>かつて日本人がこういう判断ミスによって、進むべきではない戦争に進んでしまったことを、今の時代のなかで、十分認識しておく必要があると思っています。

これについてはまったく異論はありません。

Posted by: X | October 10, 2005 at 00:57

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