靖国問題と政教分離
グロービスの堀さんがブログでまた靖国問題について書いています。
>首相には信教の自由が無いのだから教会・神社に行っては行けない」と言われているようなものです。キリスト教の信者が、「イエスや神様なんて関係ないから、教会に行くな」と言われたら怒りますよね。
とありますが、日本は憲法で政教分離を規定しています。
各地で建てられている「忠魂碑」なども、工費の支出が憲法違反とされています。政治家である間は、「総理大臣として参拝するのではない」と明言し、誤解を招くことのないよう、自戒自立するのが、憲法を厳守するという意味ではないですか? 閣僚である数年間、直接参拝しなかったからと言って、小泉さん個人の思想信条が激しく侵害されているとはいえないし、それがイヤなら閣僚になるべきではありません。
こういう、国内の重要ルールさえ、自分たちの勝手な解釈で破ってしまう、という強引さを、周辺国は「危ない国だ、信用できない」と感じているのです。
信教の自由などの自由は、いつでも無条件に行使できるわけではありません。公務員の政治活動は厳しく規制され、たとえば公立学校の教師は、学校の統廃合の反対運動に加わることはできません。政治結社の自由は公務員にはないのです。
靖国が戦没者の「行き着く場所として認知されていた」の配意として、それは「現役の政治家が参拝しなければ、敬意を表したことにならない」と考えると、戦前の思想に戻ってしまいます。少なくとも憲法は改正され、ルールが変わった中で、最大限の敬意を表するのが、法治国家の道です。
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Comments
パコさん>コメント&TBありがとうございます。m(__)m
政教分離に関しては、首相が私人の立場で参拝するのであればまったく問題ないと思っています。宗教という観点で言えば、米国大統領が日曜日に教会に行くようなものですから。
「公務員の政治活動」と「私人としての信教の自由」はまったく別のものだと思っています。
公務員は、政治活動は制限されていても、神社や教会には行っていいのです。信教の自由は、それほど強く守られるべきものなのです。
靖国神社だけ行ってはいけないと言うのは、小泉さんの信教の自由を認めていないことだと思います。
本件は、小泉さんの個人の判断に委ねるべきでであって、他人がとやかく言う問題では無いと思います。これは、米国政府の考えと同じです。
堀義人
Posted by: 堀義人 | August 16, 2005 18:38
「首相が私人の立場で参拝するのであればまったく問題ない」ということですが、小泉首相は「公的とか私的とか私はこだわりません。総理大臣である小泉純一郎が心をこめて参拝した」と述べています。つまり、公人であることを否定していません。
参拝が宗教行為にあたるかどうかは議論が分かれています。つまり、裁判の判決を含めて、決着がつけられていない、ということです。そういう状況を承知であえて公人ととれる方法で参拝しているということは、「政治的な意味合いをもった宗教行為である」ととられてもかまわない、という意味と考えられます。
ここまで自覚的な(ねらいのある)参拝を、首相個人の信仰に基づく、と考えるのは、合理的でなく、好意的に過ぎる解釈だと僕は考えています。
もうひとつ、米国大統領と比較していますが、合衆国憲法は政教分離の規定を、「特定の教会と政府が分離される」としているだけで、日本の憲法とは規定(20条第3項で、国及び其の機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動を行ってはならない )が違います。
ただ、こういう法解釈は、ひとつではないと思います。ここで僕らのような市民が考えたいことは、首相の個人的な信仰心であれ、それが周辺国に発信するメッセージが妥当なのかどうか、という点です。
堀さんのブログにもコメントしましたが、僕は日本人として、あの戦争を認める気持ちにはならないし、あの戦争を肯定しているととられかねない行為をする(靖国参拝)ということは、政府としていっていることと、やっていることが違うと受け取られることを承知でやっていて、それは日本から発信するメッセージとして、妥当ではないし、また意味がない、と僕は考えている、ということです。彼がどのような信仰を持っていてもいいのですが、周辺国に送るメッセージとしては、妥当ではない、ということです。
Posted by: paco | August 17, 2005 01:14
通りすがりのものです
普通に考えて小泉首相の靖国参拝は違憲だと思います。
ただ総理といえど宗教活動は必要ですから憲法を改正することができればその方がいいと思います。
政教分離の規定は重要でこれまた必要ですから、首相が憲法に違反せず参拝ができ、なおかつ政教分離の規定を設けて、国が特定の宗教に対して保護を与えたり弾圧を加えたりすることがないようにすればよいと思います。
靖国は昭和・平成と歴史を重ねてきたことでその性格も変化していると思います。過去の歴史に拘らず現代の状況に即した憲法を作り、実情にあった政権運営ができるように改正したほうがよいと思います
Posted by: たかし | October 01, 2005 18:23
>普通に考えて小泉首相の靖国参拝は違憲だと思います。
私は普通に考えて違憲だとは思っていません。
「政教分離」は外国からの輸入概念で、英語では「Separation of Church and State」。つまり政府組織と宗教組織が分離されていること。「国家」と「宗教」の分離ではない。これが本来の政教分離の考え方なはずです。
また、政教分離には厳格分離と限定分離の考え方があり、これに基づき憲法の「宗教的活動」の定義を、
「宗教に関わる行為すべて」という立場から
「特定の宗教の布教・教化・宣伝を目的とする積極的行為のみ」とする立場まで
さまざまにあるのです。
最高裁は津田地鎮祭訴訟では後者の立場を取っています。最高裁の憲法解釈が後者であれば、首相の靖国参拝には何の問題もありません。
というか、前者の厳格分離を取っている政教分離国を私は知りません。共産主義国ならあるかもしれませんが。
文化を持った人間が作るのが国家である以上、宗教との厳格分離などはできるわけはないのです。
Posted by: X | October 02, 2005 23:46
>普通に考えて小泉首相の靖国参拝は違憲だと思います。
もともと まったく違憲ではなく、そして いまでも違憲ではないと思います。
靖国神社は戊辰戦争「官軍」の犠牲者の「みたま」をお祀りしたのがはじまりです。
これは「近代的な取引です」(いい言い方ではないですが)
私たちは
「錦の御旗」のために戦った
これを旧来の藩として祀るのはおかしい
「菊の御紋」のにより祀られるべきだ。
「菊の御紋」として祀るには
お寺を建てるわけには・・記念碑で・・
神社しかないよね(様式だけかしてね 神道に対する蹂躙です)。
「錦の御旗」のために戦った→「菊の御紋」のにより祀られる
これは神道という信仰云々ではなく
国家としての顕彰システムであり、
もちろん慰霊であり、
みたまが迷わないようにする国家鎮護であるのです(迷うと迷惑なのです)。
もちろん 陸軍や海軍 内務省が管理した時代があるでしょうし、
戦後は厚生省が合祀にかんして関与した事実はあります
そして「みたま」の多くは先の戦争で亡くなった人のものであり
戊辰戦争「官軍」の犠牲者の「みたま」は少数でしょう
でも これは多数決の問題ではありません 最初の性格から外れるものではありません。
もちろん最初から冷徹な問題があるにはあります
「戊辰戦争の敗者の犠牲者は祀られない」
日本人の旧来の感覚では こういう人たちも祀ってきたのですが(もっと盛大に)
これが
「近代的な取引です」
であり
「近代というもの(国民国家)の冷徹さです」
小生は
「A級戦犯」は本当は「昭和殉難者」と呼ぶべきとの主張を重く受け止めます
ただ、だからこそ 「分祀論者」です でも無責任な「分祀論」は嫌いです
「乃木神社への分祀」を希望します。
もちろん靖国神社の「ロウソクの火は移しても 元のロウソクが消えるわけではない」との説もわかります
わかったうえで「乃木神社への分祀」を希望します。
長くなりました
「錦の御旗」のために戦った→「菊の御紋」のにより祀られる
これは宗教の問題ではなく 国家の正統性の問題なのです。
だから国家の代表者である首相が
参拝することは当然です
もちろん
終戦記念日以外にも いい日はあるはずですが・・。
Posted by: dd2dtty | October 13, 2005 14:33