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靖国と消防士

すこし前に靖国についての書いた記事に、まきこがコメントしてくれました。コメント返しなんですが、記事として独立させます。TB先のまきこさんの記事もとてもすばらしいので、ぜひ読んでください。

死の価値についてですが、まきこさんが消防士の例を挙げているとおり、消防士や警官のことを考えるとわかりやすいように思います。

火事になり、中に家族がいる、そこに消防士が来る。すでに火が弱い時期は過ぎてしまい、もう誰の目からも手がつけられないほど火が大きくなっている。そこにやってきた消防士に、「消防士なら死を賭して中の人を助けてきて」と頼めるでしょうか。あるいは、見物に来た野次馬までが、消防士に向かって、「ホースの準備なんかしてないで、助けに飛び込んでこい、死を賭しても人を助けるのが消防士じゃないか、助けられずに死んでも、みんなが神として祀ってくれるんだ、行ってこい」と口々に叫んだら?

そして、「わかりました、私はこれから中の人を助けるために、死にに行ってきます!」、と宣言したら、周囲の人からやんやの喝采が湧き、火にはまったく役に立たない千人針が贈られ、日の丸を振られて送り出される。それも、ひとり、またひとりと送り出される。

中にいる人だって、もう生きているかどうか、かなり怪しい。助け出せたとしても大やけどで生き延びられない可能性が高い。そして、たぶん消防士は死ぬ。のに、旗を振って送り出し、消防士の家族は、悲しむことさえ許されない。

数時間後、火が鎮火した現場から、消防士たちと家族の焼死体が。遺族たちは泣くことさえ許されず、「みんなのために勇敢な行動をとったこの人たちに感謝しよう!」「すばらしい行動をとって亡くなったのだから、泣くことはないよ、名誉なことなんだ!」

これってものすごくグロテスクな情景だと思いませんか? 誰の目にもほとんど死ぬのはわかっている。太平洋戦争で日本で起こったことは、こういうことなんです。そしてそういう行為を、神社で賛美している。とってもグロテスクな行為です

そういう歴史を、今を生きる僕ら自身が、誇りに思うのか、もう二度とそういう歴史が、現実になってはならないと思うのか。そこが一番重要な点だと僕は考えています。

僕は神社という場所は好きだけれど、靖国は好きになれない。

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「enviroment vs business」カテゴリの記事

Comments

ていねいなご紹介と、新しい記事、ありがとうございます。

この記事を読んで、「これ、たまらないよなあ」と思うのが、「感謝しよう」っていうところです。

一見すると善意にみえる。でも・・。
この違和感はなんだろう。あまりに気安い、ということでしょうか。
失ったことの痛みの完全な欠如というか・・・。

この問題は、やはり奥が深いです。引き続き考えることになりそうです。

Posted by: まきこ | August 30, 2005 at 23:58

まきこさんへの返信として書いた記事をTBさせていただきました。
この消防士の話、とてもわかりやすいです。

Posted by: pagan | August 31, 2005 at 19:24

あ、書くの忘れましたが、消防士の例を最初に書いてくださったのは、私ではなく南郷さんというかたです。
なんだか、こうしてそれぞれの言葉に触発されて考えが深まっていったり派生していったりするのが、blogのいいところですね。

Posted by: まきこ | August 31, 2005 at 20:57

別に悲しむことを許されないわけではないでしょう。みんな普通に悲しんでいると思いますが。
ただ、悲しいからおおっぴらに泣くとか、嬉しいからおおっぴらに喜ぶとかいう行動が、
狭い島国の中で暮らしてきた日本人の美意識に合わなかった、というだけではないですか。
相撲で勝った力士が土俵の上でガッツポーズをしません。剣道では厳重注意です。本来外来文化である高校野球ですら否定的です。
戦没者の遺族が悲しむことが許されなかったわけではない。みんな普通に泣いています。

あと、火事の例えはどうなんですかね。
20世紀の半ばまで世界の8割以上は西欧列強の支配下にありました。
そのために先祖から受け継いだ文化も歴史も言語も失ってしまった民族もあります。
その中で生き残るために、日本は多くの国民を戦場に送り出してきたのです。
「見物に来た野次馬までが」・・・・・不適切な例えですね。
戦争に参加していない中立国が日本の同盟国の国民に対して「日本のために戦場に行って立派に死ね」と言ったのならその例えで充分だし、充分グロテスクでもありますが。
「戦争」という火事が発生したら、国民は野次馬ではないし消防士でもないのです。

戦争と火事は違う。
こういういい加減な例えを使ってネットで靖国参拝否定意見を広めるのは、私には意図的なプロパガンダにしか見えません。

Posted by: X | September 11, 2005 at 17:13

Xさんへ。

「みんな普通に泣いています」とありますが、それは違う、という遺族は多いと思いますよ、僕の叔父も特攻で死んでいるので、家族のもっていた違和感から考えて、その意見は雑に過ぎます。「そんな死は認めたくない」という思いを実際に口にできなかったんですよ。

もうひとつ、戦争と火事は違うと言いますが、あの戦争は火事よりもっとひどい。負けることがわかっている戦争に突き進んだだけですからね。負けるとわかっていながら戦争を始め、そこに行かせるというグロテスクさに目をつぶれば、あなたのような意見になるのでしょう。

なお、コメント中の悪意や人格を傷つける表現は、ぼくの方で変更しておきました。いたずらに人を傷つけず、議論をきちんとしましょう。

Posted by: paco | September 11, 2005 at 18:15

筋の違う例え話であるとすれば、「悪質な」という表現はごく普通の、「雑に過ぎます」と同じ程度のもので、いたずらに人を傷つける表現とは思いませんが。
しかも「悪質に感じる」受け取り手を私一人に限定してるだけ、pacoさんの「雑に過ぎる」という決め付けよりましではないですか?別に「意図的な」でもかまいませんが。

叔父殿の件は私は直接接していないので、なんとも言えません。
が、悲しむというのは、叔父殿を死に追いやった国策に対して異論を唱えるのとはまた別の話ではないかと思います。

>負けることがわかっている戦争に突き進んだだけですからね。

後知恵ですね。
20世紀初頭、ロシアの勢力が南下したときに、日本がロシアに勝てるとは世界中誰も思ってない状況で、ぎりぎりのところで講和するという策で開戦して成功しました。
これにより百年後の今に至るまで親日感情を持つ人がいるほどの成功です。
それが対米戦でできないという判断をする材料が果たしてどれくらいあったでしょう?

また、パル判事は「アメリカが日本に送ったと同一のものを他国に通告すれば、非力なモナコ公国やルクセンブルク大公国と言った欧州の弱小国でさえ、必ずやアメリカに対して自衛の為に武力を以て立ち上がったであろう」 と言ってくれました。
また、ハル自身もハル・ノート通告後に「私の仕事は終わった。あとは陸軍省と海軍省の仕事だ」と言ったそうです。
マッカーサーですら「日本の戦争は自衛戦争だった」と言っています。

負けることがわかっている自衛戦争をやらなければ一体どんなことになっていたのか、
その判断が当時の世界情勢でできたのか、
そのあたりで決定的な定説が出ていない以上、こんな批判はおかしいとは思いませんか?

Posted by: X | September 11, 2005 at 19:03

開戦時、対米戦に自信があるわけではなかった海軍における軍令の責任者永野修身大将は、ハル・ノートを通告されたとき、こう言いました。
「戦っても亡国かもしれない。しかし戦わざる亡国は魂も失った亡国である。
 勝ってよし、勝たずとも護国に徹した日本精神さえ残れば、我らの子孫は再起、三起するであろう」
はっきり言って今の価値観からすれば異常な判断のように思えます。
が、この台詞は「世界の8-9割が欧米列強の植民地」という状況と合わせて考えるべきではないではないですか?

なお、この判断のために多くの国民が死に追いやられましたが、東京裁判において永野が「平和に対する罪」を問われたとき、真珠湾攻撃の主唱者だった故山本元帥に対して罪を押し付けることは一切しなかったそうです。
それだけの覚悟をもって判断をした者に対し、「ただ戦争に行かせただけ」のような書き方はいかがなものかと思いますが。

P.S.
すみません。明日からしばらく海外に行きますので、レスはしばらく遅れます。

Posted by: X | September 11, 2005 at 19:20

素早いですね(^_^)

まず、書き換えの件ですが、ここは僕のブログですから、僕の判断でやります、おわかりと思いますが。ただし、メッセージの趣旨は変えませんよ。

僕は昭和の15年戦争は自衛戦争とはいえない、という判断です。もしあの戦争が「自衛」なら、自衛でない戦争などなくなってしまう。すべての戦争が自衛という言葉で正当化できるなら、戦争にまつわる悲劇をなくすことは永久にできません。

ひとつ確認しておきたいのは、僕はハルノートの前後から真珠湾にいたる、対米開戦についてだけ議論するつもりはありません。あの戦争の始まりは、半藤一利さんが書いているとおり、1931年、5.15事件~満州事変から始まると見ていて、陸軍参謀グループの下克上と暴走を止められなかったガバナンスの不足がひとつの理由。もうひとつが、データを過小評価する精神論が蔓延したことだと見ています。

ガバナンスの崩壊は、日本の持病とも言うべき特徴で、法やルールを変えずに、無茶な解釈し、さらに言論や物理的な暴力で、権限のないものが権限のある上位者を押し切っていくというやり方を止められなかったことを意味します。

戦後の東京裁判の是非が問題になりますが、東京裁判自体が問題なのではなく、こういう下克上や暴力でガバナンスが崩壊していったことについて、誰が責任をとるのか、その反省を今の僕が見据えることができるのかが重要です。

データを過小評価する傾向は、よく、日本に資源がなく、人的な力に頼るしかないが故に、データを重視すると身動きがとれなくなるからやむを得なかった(人に頼った)、といった説明がなされますが、これも好意的に過ぎます。経営も同じですが、精神論で戦えるのは、局地戦だけです。大きなスケールの戦いは、戦略的な計算ぬきには戦えません。そしてその戦略的な計算を、当時の多くの軍人たちは、できなかったのではなく、きちんとやっていた。特に海軍の上層部は、対米戦は戦えないことを計算上も、図上演習上も繰り返し主張しているわけですが、結局陸軍の下克上派に押し切られる。ここも、データがNOといっているのに、ガバナンスが崩壊して、好戦的な精神論が勝っていくわけです。

ちなみに、ガバナンスの崩壊とは、たとえば、陸軍大臣の実質的な人選を、陸軍参謀が行う、というようなことです。好戦派の参謀(軍事官僚)が、大臣を指名するなど、まさに下克上です。

結局、自力で勝つ勝算も、誰かが和平を仲裁してくれる可能性もないまま、国力が圧倒的に小さい日本が、対米戦争に突入していく。一見自衛に見えますが、それは自殺です。

もし陸軍が戦争をやるというなら、どうやって終結させるかのプランを複数もつのは、あたりまえのことです。しかし、日華事変以降、陸軍が始めた戦争は、終結のプランがないか、あっても他人だのみ(ドイツが勝つとか)の空想です。自力で戦争を終結させる(もちろん自分たちに有利な展開で)プランもなしに、戦争を始める指導者を、Xさんは認められるのでしょうか? あえて「こうすべきだった」とはいう議論はしませんが、あの戦争をはじめるという選択は、かなり最低の部類の判断だと僕は考えているます。

Posted by: paco | September 11, 2005 at 19:44

コメントを書いていたら、さらに入っていたぞ(^_^)

>負けることがわかっている自衛戦争をやらなければ一体どんなことになっていたのか、
その判断が当時の世界情勢でできたのか、
そのあたりで決定的な定説が出ていない以上、こんな批判はおかしいとは思いませんか

という件だけ。

僕はそうは思いません。日本は、朝鮮半島と台湾の植民地経営に、ある程度成功していました。まだまだ投資が必要なタイミングでしたが、どちらの地域もGDPを向上させることができていた。この段階で、列強に対抗できるだけの国力をつけるべきだったのです。

当時、米国では、日本と戦争するという世論はまったくありませんでした。日本がつけいるすきを与えなければ、ルーズベルトはやりたくても開戦できなかったのです。もちろん、合衆国憲法も対日戦など認める条文はありませんでした。

日本の外交部隊はこういう米国の状況を「信頼」して、米国と対等な、あるいは強気な交渉をしていたわけですが、国力の差があまりにもあれば、彼らが強気に出ることは可能だったのです。こういう、いざとなったら、という強さこそ、列強の植民地支配の根源であり、もし当時の世界の8割が列強の支配下だという恐怖心があるなら、「いざとなったら」という強権発動をさせない「したたかさ」がなければ、生き残れるはずがないのです。当時の世界の帝国主義支配の状況はよくわかりますが、だからこそ、判断を誤ったこと、しかも正しい判断をしていた人を下克上で排除してまで誤った判断をしたことに、注目する必要があります。僕はこういう判断のやり方を肯定することも、まして賞賛することもできません。

日本は石油の大半を米国に頼っていた。米国が石油禁輸を発動すれば、国の息の根が止まる(特に石油がないと動かない海軍の息の根が止まる)ことはわかっていた。そこで米国に対抗すべく、インドネシアに石油を求めたわけですが、対米戦になれば、インドネシアを結ぶシーレーンを海軍が防衛できないこともわかっていたし、またそれがわかりつつ、シーレーン防衛を最優先する戦略もとれなかった。

あとから歴史と異なる判断をしようとすると、すぐに「あと知恵だ」という人が出てくるのですが、そんなことはありません。今考えて間違っている判断は、やはり間違った判断なのです。

Posted by: paco | September 11, 2005 at 19:56

>書き換えの件ですが、ここは僕のブログですから、僕の判断でやります、おわかりと思いますが。

構いません。そのことも書くつもりでしたが、失念しました。
ずいぶん前の時点から議論をされるのですね。まあ、そのような意見はよく読むので構いませんが。
で、システム的にまずい部分は「陸海軍大臣現役武官制」と「統帥権の独立」ですね。これに関してはまったく異存はありません。
ただ、国際法の専門家であるパル氏や占領軍司令官だったマッカーサーが自衛戦争と言っているのに、それをあっさり否定と言うのはどうでしょうね。

で、悪いのは誰?なんでしょう?pacoさんは海軍ではなく陸軍が悪いかのように書いていますが、本当にそうでしょうか?
例えばロンドン軍縮条約の締結に際し統帥権干犯問題を持ち出したのは陸軍ではなく海軍です。
さらにこの問題を利用して時の内閣を攻撃、ついには総辞職に追い込んだのは、他でもない5・15事件において海軍将校に殺された犬養毅です。
そしてこの問題で自信をつけた軍部の独走が始まり、満州事変に至るわけです。
しかし、統帥権干犯問題の扱いはともかく、犬養自身の行動全体としては健全な政党政治をやるべく動いていたはずです。
まさか犬養自身、昭和5年当時の自分の行動が祖国を対米戦争に追い込むことになるとは思わなかったでしょう。
あと「陸軍の下克上派」とありますが、下克上派はむしろ二・二六事件以降排除されてますよ。石原莞爾もそう。

誰かが戦争に追い込み、それによって罪もない被支配階級が理不尽に戦場に追いやられた、というのではなく、問題がおきながら憲法改正もしない、といったいわば日本全体の体質に問題はあったでしょう。
そういった体質の中で決まっていった情勢で、昭和16年の政局を任された人間がやむを得ず開戦の判断をして多くの犠牲者が出てしまった、そして開戦や作戦の判断をした者の多くは切腹するか裁判で日本の主張を述べて処刑された、こんなところでしょう。
それをグロテスク、と見るのは、、、pacoさんが日本人でなければ理解はできますが、日本の構成員の一人としては、反省点ではあっても他人事のようにグロテスクとは言えないと思いますが。
そもそも「責任者が戦争に行かせてそのまま」だったわけではないのに、そう取られかねない書き方をして「グロテスク」と決め付けられても。。。

Posted by: X | September 12, 2005 at 01:18

>今考えて間違っている判断は、やはり間違った判断なのです。

これは非現実的かと思いますが。敵国の状況がわかっている、そして国民感情や国際世論がまったく違う今現在の状況で評価しても、どうしようもないでしょう。

>この段階で、列強に対抗できるだけの国力をつけるべきだったのです。

これができますか?朝鮮半島と台湾しか無い状態で。市場はあるんですか?資源は?米国頼みのまま?
仮にできても、国力をつければいつかは米国は介入しますよ?
二つのシーパワーが太平洋上に両立するなんて今でも米国は認めないでしょう。まして当時、黄色人種のシーパワーが、なんて夢物語です。

>対米戦になれば、インドネシアを結ぶシーレーンを海軍が防衛できないこともわかっていたし、またそれがわかりつつ、シーレーン防衛を最優先する戦略もとれなかった。

どうなんでしょうね。シーレーン防衛を優先すれば長期戦ですよ。日本は敵わないのではないですか?
短期決戦派による、ハワイ攻略から米本土を脅かして有利な形で和平交渉という戦略の方が妥当ではないですか?豪州占領とそれと引き換えの和平交渉の方がまだ実現性はあったような気がします。
・・・・・・と、今判断してもかように「間違っている判断」かどうかはわかりにくいものだと思いますが。

仮に大いに間違った判断だったにしても、戦争犠牲者の上に諸国が独立する環境が生まれ、貿易によって立国できる世界情勢ができたことは否定できないでしょう。
自由貿易、人種の平等、今建前として通用するこれらの価値観は、戦前は通用しなかったのです。
やはり開戦までの決定をグロテスク、と言ってしまうのには抵抗があります。

というか、そもそもグロテスクと言う言葉は消防士の例え話を表現したものですよね。
当時の状況は上記のごとく、消防士の例え話とはかけ離れたものではないですか。

Posted by: X | September 12, 2005 at 01:19

pacoさんの「陸軍の下克上派」の意味は私が誤解していたようです。皇道派のことかと思いました。

Posted by: X | September 12, 2005 at 01:27

Xさんへ。このところ多忙で、書いているヒマがありませんでした。

>これができますか?朝鮮半島と台湾しか無い状態で。市場はあるんですか?資源は?米国頼みのまま?

という部分が重要だと思っています。

僕が言いたいのは、日本という国が、どのように生きていくべきだったのか、そこの判断を誤ったか、あるいは楽観的に考えすぎた。特に、データを軽視した判断を繰り返した点に、当時の指導者の判断ミスがある、しかも構造的な判断ミスの温床があったことに注目しています。

>二つのシーパワーが太平洋上に両立するなんて今でも米国は認めないでしょう。まして当時、黄色人種のシーパワーが、なんて夢物語です。

そうなんです、だからこそ、戦後の日本は、米国の傘の下で生きることを選んだ。そして一定の国力をつけ、これからも日本は米国の下でいいのか?という議論が起こりつつあるところと言えるでしょう。

当時(1930年代)は、今よりはるかに米英との差が大きく、その状態で日本が野放図に伸びることの方がはるかにリスクが大きかったはず。Xさんも言われているような状況の中で、なぜ対米戦という判断を行ったのか。

当時、米国の一般市民の感覚は、日本は米国の資源で生きる極東の小国、というレベルの判断しかできなかったはずです。日米関係はおおむね良好で、少なくとも米国民は、対日戦争など、考えていなかった。だから、ルーズベルトも繰り返し対日戦(対独占も)行わないと演説しています。そうしないと、選挙に勝てない状況だったのです。

その中で、日本は三国同盟を指向し、満州国を建国、対中国戦、さらに仏印と拡大を続けた。米国を挑発し続けたと言ってもいい拡大です。その一方で、日本は国際連盟脱退など、せっかく獲得した国際的な地位を自ら捨てて孤立の道を選んだ。これはおそらく、国際社会の中での自分のポジションがまだまだ小さいことを直視できず、一方国内に対しては「日本は強い国」というメッセージを出し続けたことの、アンバランスから、外に合わせたメッセージを中に発するか(国民に真実を知らせるか)、中を重視し、外に対しては孤立するかの選択肢に行き着いてしまった。結果、後者が選ばれた。

で、問題はその選択を誰がしたのかという点です。5.15事件、2.26事件で、軍はいざとなったら何をするかわからないという生死に関わる恐怖心を、国内に植え付けてしまった(植え付けることに結果的に成功した)。それも、軍のリーダーではなく、若手が血気にはやって「国のためなら無能な指導者(閣僚)を殺すことも辞さず、それが国のためになる」という状況を肯定してしまった。というのが言い過ぎなら、そういう考えや行動を、明確に否定しきれなかった。

背景にあるのは、混乱期(世界恐慌以降の激動の時期)に、国会や政府がそれに対する適切な処方箋を出せなかったというのは大きいでしょう。相対的に国民の意識は、命をかけてでも国の行く末を心配しているように「見える」軍に好意を持った。でもその国民には、世界の中での日本のポジションを正確に理解できるほどの水準ではなかったし、また情報統制によってそれができないように、軍も誘導していった。つまり、国内をまとめるという点ではうまく行ったわけですが、その結果、国民の過剰な期待が一身に軍に集まってしまい、軍自身がその期待に応えられない状況に追い込まれてしまった。

これが30年代の日本のミスだったと僕は見ています。

実は、これは今の米国にも言えることで、対イラク戦の無謀さを世界中が指摘した、けれど、国内にはそのことを知らせないようにメディアを誘導し、世論を形成して、開戦、泥沼以下のひどい状況に陥りました。

さて、1930年代の日本。もちろん、国民がしっかりチェックすべきだったという考え方もあるし(国民全体の責任)、国家元首である天皇がチェックすべきだったという考えもある(天皇責任)。

でも僕は、軍の責任が一番重いと思っています。自ら実質的な権限を自分たちに引き寄せておきながら、その権限の行使の方法を誤った。そして誤りを認めずに国民や、天皇対しても、隠し続け、それをさらに加速させていった。その終着点が1941年秋であって、この時点まで来てしまえば、すでに後戻りするには抵抗感が大きすぎたのです。その点で、ハル判事の「自衛戦争」という意見は、たぶん大きくはずれていなかった。でも、41年時点ではすでにPoint of no returnを超えていたとぼくはみているので、だとすれば、対米戦開戦は確かに自衛戦争だったかもしれない。でも、そこに向けて自ら進んでしまった(日本の舵をそこに向けてしまった)軍と軍に近い指導者の責任が重い、というのが僕の意見です。

で、僕が火事と消防士にたとえているのは、軍は自ら火事を起こしているという1930年代の状況と、1941年以後、まけがはっきり見えている(ミッドウェーとガダルカナルの敗北以後)のに、消防士(戦死)を戦地に送り込むことしか考えなかった軍と政府の判断は、やはりとってもグロテスクです。

本来なら、対米戦に入るべきではなかった。しかしそうであっても、ミッドウェーとガダルカナルの敗戦時点で、日本は本気で終戦を考えなければいけなかった(実際にいつ終戦できるかは別にして、もっとも有利な終戦/敗戦のために、あらゆる外交手段をとるしかなかった)。それすらできなかった軍部は、日本を全焼させるに任せた、という点で、明らかな責任がある。

繰り返しますが、もともとは1930年代、日本の指導者がリアリズムを失った点が、最も重要なミスであり、そのミスについて、すでに30年代後半には十分気づけたのに(ノモンハンの敗戦など)、気づかない「ことにした」判断ミス。この二重のミスが、日本国民と周辺国民を苦しめたのであって、これは犯罪、といわなければ重大な背信行為だと僕は考えています(ちなみに当時の憲法は、国会を最高議決機関とは認めていなかったので、国民の責任は相対的に軽い)。

Posted by: paco | September 17, 2005 at 11:46

お忙しいところありがとうございます。勉強になります。
しかし私の知る歴史とはやや違うようです。というか、事実は一つでも解釈は一つになるとは限らないので、安直な消防士の例えはやめたほうがいいと思うのです。

>当時(1930年代)は、今よりはるかに米英との差が大きく~できなかったはずです。
>当時、米国の一般市民の感覚は、日本は米国の資源で生きる極東の小国、というレベルの判断しかできなかったはず~
>日米関係はおおむね良好で、少なくとも米国民は、対日戦争など、考えていなかった。だから、ルーズベルトも~

「はずです」と断言されても…。何をソースにされたのかわかりませんが違うんじゃないでしょうか。
一般市民が戦争をやりたくないと思うのは当然で、そう思っていたからと言って国民関係・国家関係が良好だと言うことにはなりません。
日露戦争後から米国民衆の対日感情は徐々に悪くなり、日本人学童排斥問題(当時未併合の大韓帝国籍の学童も含む)が発生したり、「排日移民法」や「排日土地法」などと呼ばれる州レベルの法制定から「排日移民法」が連邦議会で成立したのは、その後1924年に至るまでの時期です。
極東の小国って・・・ロシア破ったんですよ?米国黒人社会では日本ブームが起きたんですよ?米国の織物産業は日本から生糸を輸入してましたし。国防ではレインボープランの対象国にもなってますし、米国が太平洋艦隊を本格的に増強したのもそれを受けてのことです。
むしろ日本はその国力に比して一般市民からも政府からも過大評価を受けていたと言っていいと思いますが。

>その中で、日本は三国同盟を指向し、満州国を建国、対中国戦、さらに仏印と拡大を続けた。米国を挑発し続けたと言ってもいい拡大です。

日露戦争前は数千万ドルだった日本の対米輸出は世界恐慌前には数億ドルになっていました。
しかし1929年の大恐慌以降、米国経済はブロック化を志向し、米国外製品は莫大な関税がかけられます。主要輸出品だった生糸の価格は暴落し、市民生活が危機にさらされ、農村を中心に貧困が進みました。排日移民法も合わせ、日本は当時の経済システムでは膨大な人口を養いかねる状態になっていると考えられました。そしてフーバー大統領によるこの関税法(ホーリー・スムート法)署名の翌年に満州事変が発生しているのです。
満州について言えば、彼の地は軍閥の支配下にあり中国の主権が及んでおらず、また漢民族の地であったこともありません。リットン調査団は「満州は中国領土」という立場で報告書を書きましたが、それですら「日本が緩衝地帯を作ることで本土を守ろうとした」ことは認めていますし、簡単に侵略と決め付けられないことも認めています。実際、満州国はそれなりの発展をし、中原から大規模な中国人の流入があったほどです。
自国に豊富な土地と市場を持つ米国は日本と違い、中国での権益確保には何の緊急性も無かったはずです。仏印進駐は仏政府との合意の上で行ったものであり、南部仏印については資源確保以外にも、米国が正規軍まで送って支援していた蒋介石への支援ルートに対する牽制の意味もあります。
日英同盟についてはどうお考えですか?米国を対象国から外しても、なお米国は日英同盟廃止を主張しました。
これらの事実を考えるとき、挑発されたのはむしろ日本だとするのが正解ではないですか?

Posted by: X | September 19, 2005 at 15:46

>その一方で、日本は国際連盟脱退など、せっかく獲得した国際的な地位を自ら捨てて孤立の道を選んだ。これはおそらく、国際社会の中での自分のポジションがまだまだ小さいことを直視できず、

ポジションが小さいなんてことは無いでしょう。白人至上主義の国際世論の中で国際連盟の常任理事国ですよ?世界第二位の海軍国でしたし、ミッドウェイ敗戦後ですら「日米稼動空母5対0」の状態に持ち込んだりしています。そもそも大規模海軍を建設・運用できる国なんて数えるほどしかなかったはず。
相当な力を持つ国だったことは間違いないです。
「まだまだ」と言いますが、まともな植民地を持たなかった後発帝国であることが最大のネックであり、戦争をやらなければポジションが大きくなった、とする決定的材料があるとは思えません。
国際連盟脱退にしても、国連が結局は欧米列強の道具で国際問題を解決するようなものではないと思ったからそういう道を選択した、と取るのが正しいでしょう。当初から人種差別撤廃条項否決の件がありますし。
今も米国中心外交と国連中心外交の論争はありますが、北朝鮮拉致問題に対し多少でも気遣いを見せてくれるのは米国であり、拉致問題に関し国連はほとんど役に立っていません。国連と言うものに理想を抱くのは昔も今もほどほどにした方がいいです。

>若手が血気にはやって「国のためなら無能な指導者(閣僚)を殺すことも辞さず、それが国のためになる」という~考えや行動を明確に否定しきれなかった。

青年将校は銃殺刑に処せられています。否定し切れなかったのは、貧困に喘いでいた国民世論ではないですか。

>でも僕は、軍の責任が一番重いと思っています。

これは確かにそう思います。(ちなみに二・二六事件の首謀者達は大陸からの撤兵を主張していたし、満州事変の首謀者はそれなりの世界戦略を持って対米対ソいずれも開戦すべきでないと判断してましたが、とりあえずそれは置きます)
が、権力を引き寄せるのは国家の中の一組織の動きとしては自然で、問題は体制にあるのです。
日本の体制の問題点は、権力が集中していたのではなく分散していたことです。首相に権力が集中してるのかと言うとそうでもない。天皇は輔弼責任の条項があって政府と軍の決定の承認のみ。東条は首相・陸相・参謀総長を兼ねながら、やはり対米戦の矢面に立つ海軍のことは把握できなかったそうです。
当然政戦略の整合性も陸海軍の戦略の一致も取れるわけが無い。

Posted by: X | September 19, 2005 at 15:50

「1930年代」については以上のとおり。今回新しく論点に加わった「1941年以後」ですが、

>まけがはっきり見えている(ミッドウェーとガダルカナルの敗北以後)のに、

それこそ後知恵でしょう。ガ島戦は、日本陸軍初の明確な敗北です。(ノモンハンについては後で述べます。)陸軍が米国をなめていた面はありますが、一度敗北しただけで「負けがはっきり見え」る気になるのは、後の経過を知っているからです。その後アッツ島以降いくつかの島で玉砕しますが、昭和19年半ばには大陸打通作戦を成功させています。
主役だった海軍にしても、昭和19年のマリアナ沖海戦では日本は史上最大の艦隊を動員しています。一撃を与えてから和平工作をした方が外交上有利なのだから、ここまでは国家指導者としては普通の判断で、別にグロテスクではないしょう。
マリアナの結果は惨敗でしたが、マリアナ諸島攻防戦の敗北で東条内閣は和平派に倒されます。この時点から和平は考えられているわけで、つまり

>消防士(戦死)を戦地に送り込むことしか考えなかった軍と政府

というわけでは決してありませんでした。後から考えればもう少し早く、というのはたしかにありますが。
しかし43年11月のカイロ宣言であった「日本国の無条件降伏」という文言はポツダム宣言では消え、要求されたものは「日本軍の無条件降伏」であり、「日本の国体は日本国民の意思に基づく」という文言が入りました。国家そのものの解体に至らずに日本の政府組織が残ったことは、戦後復興の役には立っています。

>の判断は、やはりとってもグロテスクです。

その判断をした主要人物は、皆切腹したり裁判で日本の主張を述べた上で戦争責任を引きかぶって死んでいます。彼らはその能力と命を懸けて国政の判断 ─最善の判断では無かったかもしれないにせよ─ をしたのです。
グロテスク?状況の困難さや消防士を火災に送り込んだ者が判断の責任を取って切腹するなどの描写が無い限り、やはり「意図的な」印象操作のように私は感じます。

>すでに30年代後半には十分気づけたのに(ノモンハンの敗戦など)

ソ連側の宣伝を未だに信じられているかのような書き方ですが、数年前にソ連側資料が一部公開されてから定説は覆ってますよ。
ノモンハンで日本が参加したのは小松原中将指揮の一個師団2万足らず、ソ連側はドイツが動く前に決着をつけようとしてジューコフ中将指揮の二十数万を投入。これで完敗してもある意味当然で「十分気づけた」かどうかは疑問ですが、事実は日本陸軍がかなり善戦しています。
そもそも「ソ連の機械化部隊」というのが幻想で、独英米に比して技術力は低レベル、戦車は走行射撃ができなかったそうです。結果は戦車損害が〔ソ約800台:日約29台〕、航空機損害が〔ソ1673機:日約179機〕、兵員損害もソ連の方が多かった。
外務省の交渉で国境線はソ連の主張が通り、日本の北進論も弱くなったため、政略・戦略レベルでは敗北でしょう。が、戦術的には日本の勝利であり、陸軍が「十分気づけた」かどうかは疑問です。
むしろこの事件後、ソ連の方が自国の戦車を大幅に改良などしたりしたほどですから。

Posted by: X | September 19, 2005 at 15:57

>日本国民と周辺国民を苦しめたのであって、

当時の人々が苦しんだことは否定しませんが、だからといってこれは一概に言えません。学者・ジャーナリストやアジアの政治家たちの言葉をいくつか抜粋しましょう。

歴史学者 アーノルド・J・トインビー
「「第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である」
経営学者P・F・ドラッガー
「軍事的には、日本は第二次世界大戦(大東亜戦争)において、歴史上、最も決定的な敗北を喫した。 自ら植民地大国たらんとする政治的な野望は達せられなかった。しかし、その後の推移では、政治的に敗北したのは西洋だった。日本は、西洋をアジアから追い出し、西洋の植民地勢力の権威を失墜させることに成功した。その結果、西洋はアジア、ついでアフリカの西洋化された非西洋世界に対する支配権を放棄せざるをえなくなった」
セイロン(現スリランカ)代表のJ・R・ジャヤワルダナ蔵相
「アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのか。それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、また、植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が、日本に対して抱いている深い尊敬のゆえである」
タイ国首相ククリツト・プラモート
「日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。 日本というお母さんは、難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすく育っている。今日、東南アジアの諸国民が、米・英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決心をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」
ビルマ首相 バーモウ
「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。」

そして東南アジア諸国の独立は、貿易立国として繁栄した戦後の日本にとっても大事なことでした。つまり、最善の選択だったかどうかに関わらず、今の日本人は先の戦争の決定とその犠牲者達(決定者自身も含む)の上に繁栄しているのです。

Posted by: X | September 19, 2005 at 16:00

コメントが長くなってきたので、新しい記事を立てます、そちらにコメントしてください。

Posted by: paco | September 19, 2005 at 23:23

根本的な”痛み”が無視されている。

「火事になり、中に家族がいる、そこに消防士が来る。」

中にいる家族は=消防士の家族だ。

Posted by: dd2dtty | October 13, 2005 at 23:45

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