靖国神社参拝問題~A級戦犯を巡って
グロービスの代表、堀さんが、ブログで、中国人の友人と「靖国神社参拝問題」について徹底的に議論した、という記事を書いていました。まだ続きの段階なので、続編が楽しみです。
で、もともと僕が、堀さんのブログにコメントしたことに対する意趣返しという部分もあるかなと思っています。
さて、今回書いてみたいのは、靖国神社問題の核心であるA級戦犯合祀問題です。まず最初に考えなければならないのは、日本の政教分離規定です。
日本は憲法により、政教分離がうたわれていて、国家による宗教行為が禁止されていて、当然内閣総理大臣も、総理大臣の立場での宗教行為は禁止です。小泉総理を含め、歴代の靖国参拝経験者は、いずれも「私人として行っている」と明言しておらず、記帳にも内閣総理大臣と書いたと明言しています。また、明らかな休暇中に行っているわけではありません。憲法の規定に抵触するおそれがあることを知りつつ、意図的に破ろうとしているわけで、その意図は何かといえば、政治的な意味合い、つまり、ある種のメッセージを発しようとしてるわけです。
そのメッセージは、大きくふたつあり、国内向けには戦没者遺族会などの圧力団体に対して、「あなた達の気持ちをくんだ行動をしています」というメッセージ。そしてそれと同時に、中国・韓国、北朝鮮に対しては、「前大戦を美化しようとしているととられても仕方がありません」というメッセージです。前者は、「票がほしい」ということで、特定の支持母体をもたない小泉首相にとっては、数少ない票田です。そして後者は「日本は東アジア諸国のあなたたちとはあんまり仲良くしたくありません(あるいは、仲良くしてもらわなくてもけっこうです、米国と仲良くするので)」というメッセージを発しようとしているということです。
僕自身は、米国一辺倒の外交は道を誤ると思っていて、開催中の六カ国協議にしても、日本は完全に孤立しています。たいして開発力のない北朝鮮の核開発より、拉致問題の方が日本にとってはずっと重要と言ってもいいのに、拉致問題で共同歩調をとってくれる国が誰もいない(韓国にも日本以上の拉致問題が存在するのにもかかわらず)。その大きな理由のひとつが、靖国問題です。
太平洋戦争も、日本の孤立が大きな原因になっていました。独善的になると、日本のような島国の国民は、自分を身の丈で考えることができなくなり、無謀なことをしてしまうのです。孤立を許容する小泉首相の行動は、日本外交の方法として、認めがたい。これがふたつ目のポイントです。
3つめは、太平洋戦争の戦争責任です。戦争は確かに歴史的には「悪」や「罪」ではありません。戦争の結果を裁判でさばき、A級戦犯を決めたことに話を矮小化すれば、確かに合理的ではないかもしれません。
しかし、日本が昭和に起こした戦争は、人類の数々の戦争の中でもかなりサイテーの戦争のひとつです。満州事変、日華事変と呼ばれる戦争は、いずれも日本政府のコントロールを無視した軍によって進められ、結果として日本は宣戦布告なしに隣国と戦争をするというまっとうでないやり方になりました。日本の歴史としてみても、政治のルールを無視して開戦し、後追いで認めていくという形で泥沼化し、結果として多数の日本国民と、周辺国の人々を苦しめたという歴史であり、その行動は子どもの精神に格闘家の身体、というような、「みっともない」ものでした。
まして、対米戦争は、政府も軍も、誰も勝算なしに企画され、結果として多くの犠牲者を出し、明治以来貯め込んだ国力をスッカラカンにしました。
A級戦犯になった人々の多くは、こういう無秩序な、無政府状態寸前の無責任な政治をおこなったというべきで、日本の歴史、アジアの歴史に、汚点を残したことには、間違いないと僕は理解しています。戦争は、終結の戦略を立ててから始めるものです(外部から不意打ちに侵略された場合は別ですが)。それができなかったかっこわるい、無責任なかつての指導者を、今の時代の中で、日本の政治の長が「敬意を払いに行く」理由があるとは思えない。
国のために死んだ人に敬意を払うといえば聞こえがいいけれど、思慮浅く(思いこみが激しく結果として無責任に)自国民と周辺国民を犠牲にしたかつての指導者に敬意を払うべきか、という点を考えるべきだと僕は思います。
満州事変、満州国建国、5.15事件、2.26事件、日華事変、ノモンハン事件。いずれも、日本軍による「テロ」から始まり、政府によるコントロールが失われ、終結の戦略のない戦争に突き進んだ。その名称を見ればわかります。「事変・事件」であって、「戦争」ではない。国家が国益をかけて戦争を始めたわけではないのです。その自滅的な行き先として対米戦争がある(対米戦争前夜、日本政府の誰もが、米国との戦争に勝算をもっていなかった)。
その責任は、後世であっても美化できないほど重く、東京裁判で連合国に裁かれなくても、日本国民自身が彼らの犯罪的責任を問わなければならないはずだと思います。そういう戦争責任者たちに、今の時期に、憲法違反の可能性と、隣国からの孤立という結果を招いてまで、なぜ敬意を払わなければならないのか。僕にはまったく理解できません。
「global eye」カテゴリの記事
- ★引越しました★(2010.07.18)
- 知恵市場リニュアル~ブログ、引っ越します!(2006.01.29)
- 2006年、新年のごあいさつ(2006.01.03)
- 自殺者の増加は政府の責任なのか?(2005.10.21)
- 15年戦争とその敗戦は、今日の繁栄の礎を築いえるのか?(新イシュー)(2005.10.18)
「先見力・価値観」カテゴリの記事
- 15年戦争の、論点(3) ~日米開戦決断の是非(2005.09.20)
- 15年戦争の、論点(2) ~1930年代の日米関係(2005.09.20)
- 15年戦争の、論点(1) ~対中国戦略(2005.09.20)
- 15年戦争、開戦判断の是非のイシュー(2005.09.20)
- 靖国神社参拝問題~A級戦犯を巡って(2005.08.04)
The comments to this entry are closed.
Comments
はなはだ疑問です。A戦犯は、国を敗戦に導き内外に多大な損失を出した点では、責任は逃れられないでしょう。しかしながら、当時に情勢を鑑みるに、少なくとも1960年代半ばまでは、砲艦外交や、人種差別が当然の世界であったという認識が欠落しているように思います。中国に対する侵略は事実として認めるべきであり、虐殺についても多かれ少なかれ戦況の中ではあるのは当然という見方ができないでしょうか。一方で、現状の中国のチベットに対する虐待、中国国民党による台湾人虐殺、さらに遡れば、米国による民間人の大量虐殺(原爆、東京空襲)など、未だ裁かれぬ罪があります。韓国でも済州人に対する言われなき差別問題もあります。中韓は、天皇の日王といい、皇帝は中韓以外認めないとは如何なるものかと思っています。
では、今の日本は、どうなっているか考えたことがおありでしょうか。中国は、尖閣諸島を我が領土と言わんばかりか、南沙諸島の問題は棚に上げ、沖ノ鳥島は日本国土でないかのごとく宣伝する。旧ソ連が北方領土を占領したのは、敗戦後のどさくさです。一方で、日本の領空の多くは、米国に抑えられている。これを日本政府が何もせずに見ているのが大きな問題とは思いませんか。日本人は愚かな民族なので仕方がないという考え方もあるようですが、国は国民の人権、財産を守る義務があります。(これを認めない国はない)
私自身の私見でしかありませんが、虐殺や攻撃の根底には、人種差別があり、中韓米に比べ、日本人は卑屈で劣っているというのが彼らの思想であることにも問題があります。かつて日本が、中韓を差別したように、今、中華思想の基、日本人が犬畜生のごとく言われていることに疑問です。
ただし、唐突にこのようなことを言われても甚だ迷惑と思われます。私は、戦争も反対ですし、旧日本軍も美化するつもりはありません。ただ、アフリカが如何に独立を勝ち取ったかという視点を得て、おかしいと思うようになりました。南京虐殺も否定はしませんが、公表されている数字には疑問をもっています。(物理的にあり得ない数字だからです)
過去の問題は賛否両論あり、個人的に私を攻撃するのはかまいませんが、我々がどうあるべきかきちんと示すことを前提に攻撃願います。
ちなみに私は、左翼からは右翼と言われ右翼からは左翼と言われる鬼子です。
Posted by: 憂治 | October 20, 2005 00:39