「性差解消教育、はびこっている」と堂々と述べる異常
先日はエリート高校生を前に文科省の教育政策(「ゆとり教育」)について「失敗だった」と謝るという前代未聞のニュースが流れた文科省の中山大臣。今度は
「性差解消教育、はびこっている」と来た。要するに、男女平等、というより、女性の地位向上を図るような教育や考え方は「いかん、とんでもない」という反動政治家であるということだな。
女は女らしく、これは前近代的な意味合いで、女は女らしく、というのが「日本の伝統」と言いたいらしい。が、ここでの問題はふたつ。ひとつは、女性の地位を向上させるという世界的な流れに堂々とさおを差す反動政治家だということで、このあたりはブッシュ政権の主要閣僚の考え方と一致する。つまり、小泉政権はやはりブッシュ政権の子分だということ。
もうひとつ、これは覚えておいてほしいのだけれど、「日本の伝統」というような言説があるときには、思い出さなければならないことは、伝統という言葉はたいていの場合、非常に都合よく解釈され、ごく限られた範囲での伝統を差していればまだいい方で、たいていの場合は、伝統自体が恣意的にねつ造されたものであるか、または恣意的に限られた部分から抽出されたものであることがしばしばあるということ。
このあたりは大塚英志「伝統とは何か」を読むとよくわかるのだけれど、伝統の乏しい米国では、前世紀から今世紀にかけて、秘密結社が多数つくられ、わけのわからない儀式が特定の集団の「伝統」となるようにつくられたという例や、近代的な統一国家としての共通の「日本の伝統」を生み出すために、当時官僚だった柳田邦男は必死に各地を回って民族をかき集めていたという事実、そしてそれが日本の「民俗学」になったという話もある。
近代になり、電灯がつくと明るくなるけれど、伝統が闊歩し出すと、世の中は立ち止まってしまう、ということも、忘れてはならない。
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「性差解消教育、はびこっている」 中山文科相が批判
2005年06月05日22時36分
中山成彬文科相は5日、宮崎県西都市で開かれた教育関連のフォーラムに出席し、「教育の世界においてもジェンダーフリー教育だとか過激な性教育とかがはびこっている。日本をダメにしたいかのようなグループがある」と述べ、文化的・社会的に形成された性差の解消を目指すジェンダーフリーの教育などを批判した。
フォーラムは日本青年会議所九州地区宮崎ブロック協議会が主催。中山文科相は「私たちはこれからの日本で生きていく子どもたちを素直に育てたい。できれば世の中のために貢献できるようになってほしいと思っています」と続けた。
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Posted by: 通りすがり | October 22, 2005 04:09