公教育からのエクソダス 3
ロジカルシンキングなどの研修であちこちの企業に行ったり、ビジネススクールで教えたりする機会が多いのですが、研修中に何度も字や文章を手書きで書いてもらう時間を取っています。かけ割り程度の簡単な計算もやってもらうことがあります。
で、そういう場面では、
ロジカルシンキングなどの研修であちこちの企業に行ったり、ビジネススクールで教えたりする機会が多いのですが、研修中に何度も字や文章を手書きで書いてもらう時間を取っています。かけ割り程度の簡単な計算もやってもらうことがあります。
で、そういう場面では、ほぼ100%、電卓か電子辞書が使われます。暗算でもできる計算でも、計算機を使いたくなるのが今のおとなのふつうの姿です。漢字が書けないのもごくあたりまで、ちょっとわからないと思うときが普通なのでしょう、電子辞書を持ち歩いている人も、30人のクラスで2~3人いるし、持っていない人は携帯を取り出します。メール画面で変換させ、それを書くわけです。計算も、電卓を持っていない人は携帯を使います。電子辞書や携帯を使うほどではないときには、ディスカッション用のメモ書きに書かれている字はけっこういい加減です。クラスの目的から考えて、重要なことは字を正確に書くことではなく、議論をしっかり深めることなので、おかしな字を見てもあえて指摘しないのですが、同音異義語で間違える(週刊誌→週間誌など)だけでなく、簡単な字を間違えていることもしばしばです。たとえば、「低」という字の一番下の「横棒」がなかったり、「にんべん」が「ぎょうにんべん」になっていたり、というような感じです。
研修を受けに来る人たちは、もちろん、社会的にも十分知名度にある有名企業の中堅ビジネスパースンで、当然、大卒でちゃんともんが考えられる人たちです。かなり優秀な人と言っていいでしょう。そういう人でも、簡単な計算や漢字を、機械に頼ることがあたりまえになっている。逆に、計算(筆算)ができない、漢字が書けないということと、社会的な成功やビジネスの能力はまったく相関関係がないということを、日々実感しながら仕事をしています。
でも、当の本人が携帯で感じを調べたり計算したりしているのに、自分の子どもには漢字や計算をやるように話しているわけで、これっていったい何なのでしょう。
その一方で、こういった人たちがなぜ僕の研修を受けに来るかというと、論理思考がうまくできないという自覚があるからです。論理思考の基本はそれほど難しくなく、「因果関係」と「同じもの/違うものの区別」が基本になります。たとえば「新しいビジネスモデルをとる会社は成功する」という因果関係が成立するのか、ということについて、「そうとは限らない」という疑問を投げかけられる能力。あるいは「今日のごはんは何にする?」と「ごはんは誰がつくる?」の違いがうまくつかめず「どっちもごはんのことだよね」とくくってしまう、とか。
今までの教育で学んだことがいかせていない現実と、今までの教育では学べなかったことが求められている現実。これらに直面しているのに、「学校教育では何をやるべきか?」というイシューになると、とたんに「やっぱり基礎(読み書き)」となってしまう現実。これ自体が、ちゃんと考えられていないことの結果、といえます。
こういう状況の中で、公教育の先祖返りが強行されれば、矛盾が広がってしまうことになります。その結果、何が起こるのか。きちんと未来を見た議論が必要です。
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