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公教育からのエクソダス 2

ゆとり教育批判をしている人たちに聞いてみたいことがあって、なぜゆとり教育に舵が切られたのかという点をどう理解しているのか?という点と、基礎学力重視に舵を切ったときに、学校の生活はどうなるのか予想しているのか、という点です。

小中学校が一番荒れていたのは1980年代で、

ゆとり教育批判をしている人たちに聞いてみたいことがあって、なぜゆとり教育に舵が切られたのかという点をどう理解しているのか?という点と、基礎学力重視に舵を切ったときに、学校の生活はどうなるのか予想しているのか、という点です。

小中学校が一番荒れていたのは1980年代で、文字通り教室で授業中に爆竹が鳴ったり、机や椅子や窓がこわされたり、もちろん子ども同士、教師対子供などの暴力でけが人が出るのは日常茶飯事でした。「なめ猫」や「横浜銀蠅」に象徴されるようなツッパリが街を闊歩し、学校が子どもたちを「落ちこぼしている」という批判が噴出していたわけです。教科で扱うカリキュラムが多く、予定通りこなすためには落ちこぼれの子が出ても教師は置いていくしかなかった。このような状況を変えるためにカリキュラムの絶対量を減らして、教師が十分に指導する時間を取るのがゆとり教育の目的です。そして、僕の知る限り、この目的はある程度達成されていると思います。

では、今は「荒れる学校」のリスクはないのかというと、実態はかろうじてクラスが維持できているという感じのところが多いのではないかと思います。いわゆる学級崩壊がしばしばおこっていて、以前は暴力的な行動に出ていた子どもたちが、今はもうちょっとしらけた抵抗をしているというべきでしょうか。破壊行為というような強い行動には出ないものの、教師のいうことを聞かずに歩き回ったりおしゃべりをやめなかったり。背後には多動症や学習障害と名付けられるような子どものいるので、一概に怒鳴りつければいい子どもばかりではないのも
事態を難しくしています。

ゆとりの教育がそれを解決しているとは言い切れないものの、少なくとも「落ちこぼし」への対応として生まれたゆとり教育を変えるなら、こういう状況にどう手当てするのか、その回も含んでいなければならないでしょう。陰山学校のようなアプローチもあるものの、僕はあのやり方の危うさをものすごく感じていて、たぶん全国的にあのやり方をやっても、力量のない教師がやり始めたとたんに子どもたちに負荷をかけすぎて、崩壊すると予想します。

ではなにをやるべきか、というはなしは、また別ログで。

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