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「人命が大切」ではなく、敬意の問題

イラク人質問題について、友人Qとのやりとりから。

Q 確かに命は大事だけど。雪山に装備もちゃんとせずに行っちゃった人と同じとは言わないど

「命が大事」というのではなくてね、「命の危険を問わずに行動した人への敬意を、どうやって表すのか」ということなんだと思う。「危険を賭して誰かの役に立つという行動をとる人」が、多くの人から尊敬される社会であってほしいと思うんだけどね、今回の流れの中で、「危険なところにいかれるのは迷惑だ」「身勝手だ」「掘っておけばいい」というニュアンスになっているところが気になる。

命の重さという議論をしたいわけではないんだよね。今回のような3人の場合、同情というより尊敬が必要なんじゃないかと。その行動の必然性が十分に感じられないんじゃないか

Q 今回の場合、なんかあまり(そこに行くのがその人たちである)必然性を感じないんだよね。その辺の情報を僕が知らないだけかもしれないけど。

そういう雰囲気に、僕は違和感があるんだろうな。危険な場所にあえて行って、そこでなんらかの役割を果たしたいと思うことに、必然性も資格もいらないと思う。(自衛隊みたいに)必然性や資格がないといってはいけないような雰囲気に、違和感を感じる。そこに行ってあげたいという思いと、そこに行けば役割を果たせる、という確信があれば、それ以上の資格も必然性もいらないんじゃないかな。

危険なところに行くなんて、という論調は、危険なところに行く人に特別な資格がいるような意識が前提にあるんじゃないかな。

Q 本当に役に立ちたいならちゃんと役に立つことをするべき。状況をよく理解もせずに感情だけで動かれるのはかえって迷惑なこともある。

少なくとも彼らは感情だけで動いているわけじゃないでしょう、何をしなければいけないかわかっていて、目的があって、イラクに入ったわけだから。迷惑と言うけれど、迷惑の時ばかり強調する一方で、彼らの貢献にスポットが当たることは少ない。貢献しているときに、これだけ連日報道される(賞賛される)なら、迷惑への非難もあっていいのかもしれない。でも、貢献の時には資格も問わず、目を向けず、迷惑の時だけ非難するのは、僕はうまく理解できないな。

僕は彼らの貢献について、具体的に語るほど情報がないからね。でも、もしイラクの人が日本人に親近感を持ってきたとすれば、政府や企業の行動だけでなく、民間の個人やNGOの活動があってこそだと思う。

報道以上のことは僕もわからないけど、高遠さんは今回もイラクの子どもたちのための医薬品を日本から大量に持ってイラク入りしていた。今井さんは高校時代からNPOをつくり、イラクの劣化ウランの被害を告発してきた(今回はその実態調査と支援)。郡山さんは「従軍記者」ではない独立した立場でイラクの現状を伝えようとして行った。自衛隊でレンジャー部隊にいた経歴もある(危険地域での基礎知識がある)。

彼らはそれぞれこれまでもイラクのような地域に貢献し、戦闘が激しくなる中、リスクを感じつつも、入国したわけだよね。確かに危険は大きくなっていたわけだけれど、日本政府は「安全だから自衛隊を送った」(戦争は終わり復興段階)と公式見解を出してきたわけだし、リスクが急激に上がったのも、ファルージャでの戦闘が大規模化したからであって、必ずしも予測できたわけじゃない。まあ、そういうあたりは、僕も正確な情報を持っているわけじゃないから、正直よくわからない。

たぶん、僕が気になっているのは、貢献しているときは誰も注目せず、迷惑だというタイミングになるときだけ非難を浴びせているように思うからなんだろうな。

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